4丁目の異邦人⑫
一人暮らし
「磯子警察署の者ですが、、、」
職場にいる私の携帯電話が唐突にしゃべり出した。過去の経験からこのたぐいの話出しの後に続く内容は、(家人が路上で転倒し保護されている)と、私は瞬時に判断してしまう。
ところが、
「お宅のお家の前から電話しています」と続いた。この言葉からの私の予断は(家が燃えている)方向に即座に切り替わった。
だが、
「お宅の玄関に鍵が差し込まれたままになっていました。チャイムを鳴らしましたが応答はなくどなたもいらっしゃられないようです。鍵にパスケースがぶら下がっていまして、中を調べたところ持ち主がアサさんでありヨシオさんのこの携帯番号のメモ書きを見つけお電話いたしました」と云う。
およそ半月の間石神井で気ままな一人暮らしを楽しんで、母はこの日横浜に帰って来ることになっていた。すなわち、私の家にたどり着いた母は、家の鍵をさしたまま、行方知れずになったということだ。
「いかがいたしましょう?」狼狽している私にこの警察官の問いに返す言葉が浮かばない。
「お近くにご家族のどなたかおりませんか?」
「女房がいるはずです」
「リン子さんですね、メモにあります」
「みち子と読むのですがはいそうです」
「連絡してみます」
「よろしくお願いいたします」
真っ白な脳みそのまま警察官との電話を切った私は、それでも母の携帯にアクセスすることを思い付いた。
「あー、ついさっき帰って今荷物を開けているところだよ」のんびりとした母の声が聞こえる。母は耳が遠い。
「鍵はどうした!」
「今日はおそくなるんだって?」
「玄関先にお巡りさんがいるよ!」
「ご飯はたべるんだろ?」
「とにかく外に出てみて!」
「待ってるからね」
らちがあかないまま一方的に電話が切られた。
帰宅後に聴取した事件の顛末を述べる。
私が無意味な会話を母としている間に、警察官は家人に連絡を取り、家に入る許可を得て母の居室に立ち入った。突然部屋に押し入ってきた二名の若い制服警官の姿に母は大いに驚いたが、説明を受けその行動の妥当性を理解し陳謝した。
二人の警察官を送りに玄関先に出た母は再び驚愕した。そこには複数のパトカーが停まり、送り出した2名の警察官の数倍の人数の制服管の姿のみならず、ご近所の方々の姿がある。「恥ずかしくてもう外に出られやしない」母は自責の念にひたすらうなだれたという。
玄関先の人数はその後1時間たっても2時間たっても減少しない。帰宅した家人がその人数に加わり事件の全貌がようやく判明した。
向かいのお宅の御主人(数年前に老いた母親を亡くした後一人暮らし)に連絡が取れないことをいぶかしんだ娘さんが駆け付けたところ、居間で冷たくなっている父親を発見し、警察に通報した。不自然死であることから警察は事件・事故両面の捜査を余儀なくされ、多数の警察官を派遣した。結果、事件の可能性は全く否定され、検死の結果脳溢血による死亡と断定された。捜査該当住宅の向かいの住宅の玄関に差し込まれたままの鍵を発見しその処理を施した警察の行為は全くの偶然であった。
事件の主役から解放された母は大いに喜んだが、いつの日か石神井の家で同様な事故が発生する可能性を見つめる私の胸の内は暗く沈んだ。
2012/01/15 升
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