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2004/08/28

べレンツ

 麦藁帽子のそのおっさんはまるで「丹下段平」のそのものだった。


 だが、卑怯にも麦藁帽子の向こうに落ちかかった太陽がある。 顔は見えない。
 傍らに一匹の犬が長い舌をぶらぶらさせて涼を取りながら、鎮座している。 ドイツ語を話しそうな見事な洋種の猟犬だ。


 地下足袋を履いたそのおっさんは近づいてくる。 「お前たちに勝たせてやる。 俺が教える。 ただ条件が一つだけある。」

 頭蓋骨とほぼ同じ太さの首元から発せられた声は、期待を裏切ることなく、充分にしわがれた低音だ。 ふくらはぎのような腕に繋がれている艶やかな犬は、集まった我々の尻の匂いを忙しなく嗅ぎ回った。


 北海道の「植木屋」は半年で一年分の仕事をこなす。 積雪のない5月から11月までがその勝負時期となる。 栗原造園の代表栗原氏も例外ではない。 だから12月から4月の間仕事が出来ない理由で従業員を持たない。

 彼は明大ラグビー部のかつての本ちゃん(一軍)で、プロップもこなす元スーパー・フルバックだった。 彼の無償なるコーチ受諾の代償は、我々の有償によるアルバイトだ。 つまり、植木屋の助っ人なのだ。


 我らがキャプテン・飯塚は、この見ず知らずのおっさんの唐突な提言に、返す言葉をためらった。

 「栗原さん。 お話は了解しました。 回答する前にハーフタイムをいただきます。」

 円陣を組んで、「おい、誰か行くか?」

 私も含め四五名が手を挙げた。

 商談は速やかに成立した。

「では、明日4時に。 朝のだぞ。 さぁ帰るぞ!ベレンツ。」


 北の大地の日の出は早い。 それは首都より日本の北の島が東に位置するためで、「北」とは無関係なのだが。

 翌朝、札幌市南区北の沢にある栗原造園に、3時に起き未明の坂道を川沿町から向う。 出迎えてくれた人は、クチナシの花のような一花濃厚なるおっさんの女房だ。

 「まず沢山食べていって。」 朝の3時半に飯が食える学生はいない。 出汁が匂い立つ味噌汁から湯気が上がり、塩握り飯が並ぶ。 キュウリ の糠漬けに誘われ思わず手が出た。

 鱈腹いただいて、仕事だ。 「おい、最高のバイトだなぁ」 誰しもがその時点は思った。

 

 私たちを乗せたトラックの荷台には高さ2メートル程の鉢巻された幼木が、これ以上積みきれない量で搭載されている。 どうやら行き先は小樽方面らしい。 

「この木を今日中にこの国道に植える。」 おっさんの指示はそれだけだった。

 北の大地は固い。 満身の体重を乗せたスコップがむなしく跳ね返えってくる。 鉢を納める穴を1時間を費やし手掘りし、次いで埋め戻し、支柱を補する。 

 単純な繰り返しの作業だ。 5本目に手が壊れた。 支柱に打つべき釘を叩くトンカチが握れない。 両手を使っても的にあたらない。 まだ日は高い。
 「昼飯にしよう。」 既に一人で30本を消化しているおっさんが満面の笑顔で呼ぶ。 海苔付きのお握り、薄く切られた沢庵、それに冷たいポットの麦茶。 そのご馳走を辛うじて痺れる両手で方張りながら、我が両の腕をいぶかしむ。

 

 「お前たちは15対15では勝てる材料がない。」

 「勝つためには15対13で戦うしかない。」

 グランドに立ったおっさんが言い放つ。

 現代と異なる昭和のラグビー、あの頃は例えゲーム途中に選手が死んでも、交替は許されない素敵なルールがあった。

「とりあえず、二人減らせ。 それからがお前たちのゲームだ。」

「基本の低いタックルなどしてはいけない。 お前たちが怪我をするだけだ。 わき腹を狙え、みぞおちに頭から突っ込め!」

「ボールを持ったら、トライを意識してはいけない。 ボールを持った奴の合法的特権・ハンドオフは、唯一、向ってくる相手を殴り倒すためだけにある!」

 北の大地は朝の早い分だけ夜も早い。 だが、その夜が来てくれるまで、なんと長かったものか。 帰路の車内で口を開くものなど誰もいない。 両手はもとより首すら上がらない、膝は笑い放している。 

「明日も同じ時間だ。 ゆっくり寝ろ。」 おっさんの悲しい命令が下る。

 一ヶ月の間に何本の木を植えたのだろう。 今、小樽周辺に憩いをもたらしている樹齢35年前後の街路樹は、総て私たちの掌の豆から流れ出た血と汗だと言い訳をしてぬぐった涙を肥やしに、ここまで年輪を重ねたに違いない。

 小樽駅舎前のあの一番大きな奴はもちろん、私の作品だ。

 

「競争だ、走れベレンツ!」 犬と一緒におっさんの蹴るボールを追う。 明大のスーパー・フルバックの上げるパントは軽く60ヤードを飛行し、かつ、てんてんと転がっていく。 

 幾度競っても、待っているのは犬の歯型のついた唾液まみれのボールだ。 「遅いな。」 その傍らにドイツ語であざけるべレンツが長い舌を出している。

 

秋。 全道大学ラグビー選手権大会 会場 帯広畜産大学。 春に大敗した北海学園大に勝った。 もちろん、ノーサイドまで15対15で戦った戦果だ。


家業で勤しむべレンツとおっさんはもちろん来なかったが、同行した顧問の先生はその日の宿代の金策に、汗した。
sh0156

 

2004/06/25 升 (第23回札幌泥球会奈良会場に捧げます)

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