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2004/11/07

Brownie

そのパン屋は西武池袋線江古田駅前商店街にはない。 
南口商店街を抜け、千川通りを渡った、閑静な住宅街にささやかな看板を出している。 
あまりの解りにくさから、店主の友人の一人である私も度々道を迷う。

その店主が開業した25年程前、本人から話を聞いた私は「お前にパンが焼けるはずがない。」と断言した。 
その日の夜、帰省先の私の実家に閉店後の店主自らが、彼の焼いたパンの山を配達しに来た。 
その山の総ては確実にパンであり、私は素直に頭を下げた。

創部50余年を迎える都立大泉高校ラグビー部25期の主将が、その店主だ。 
部の歴史上、多くの名主将が背負ってきた3番のジャージを彼も着用した。 
スクラムの柱・右プロップ、猪又だ。 

同期の副将吉川は今でも言う 
「チームがまだ弱い頃、俺達バックスが相手のオープン攻撃で抜かれた後、猪又が追いかけコーナーフラッグ直前で、度々止めてくれた。
バッキングアップのコース取りも目に焼き付いている。 
3番のブレークから遠い方の自陣コーナーへ戻るのだ。 
サボっても目に付かないところを彼は忠実に戻り、それも最も深いコースをとって、タッチライン際で倒すのだ。 
あの忠実さには頭が下がる。 
尊敬に値する。 
忘れることは永久にないだろう、それくらい強烈だった。」 
まさに、 すざましいタックルだった。

いまや、熟練の技を持つその男は、昔と同じ店でパンを焼く。 
お洒落で小奇麗とはいえぬ店だが、それがパンをうまく作る秘訣なのかも知れない。 
が絶え間なく訪れる。 
それでも「夏は売れない。」と言い切る。 
焼きたての製品在庫をチェックしながら、次の仕込をもう始めている。 
ものを作る道を極めた者だけが見せられる、無駄のみじんもない動き。 
焼き立てしか売らないのが、信念らしい。

でも疲れる と云い、幾度かしゃがみ込んだ。 
目が真っ赤だったが、少し太ったのは精神的に安定したせいなのだろう。 
客の減る8月には20日間店を閉め、ニューヨークに更なる修行の旅に出るという。

「俺の息子が大手のパン屋に就職する。」
「ほー。そこなら俺もバイトした事があるぞ。」 流石に詳しい。
「色々勉強は出来るが、本物は焼けないのが大手だ。」
「数年後、独立開業の意志あれば、俺が引き受ける。 つれて来い。 ただし厳しいぞ、ビシビシやるぞ!」

多忙に配慮し、早々に引き上げる私に紙袋を手渡しながら、
「親父さんに食べてもらってくれ、もし固くなったら、、、」 自信たっぷりの食べ方のレクチャーを私は聞き逃した。 
袋の中身は厚切りの食パン。 真綿色に柔らかく、ずっしりとしている。 
猪又の焼いたパンが固くなるまで残るはずがないのが、その理由だ。
2004/07/19 升 2005/02/07 改訂
2004/07/19 升sh0171.jpg

 

 

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コメント

それは残念。怪我しないように頼みます。
倅は4月からスーツ姿でパン屋に通いだした。
初日に「髪を切れ」と言われたらしい。 どうやらブラウニーのパンのほうが美味い理由が一つ解かった。

投稿: いろり 主 | 2005/04/07 18:37

グランドもしあがり いよいよ動き出します。
今日行ったら入学式 ついていません。

投稿: クリフォード・イノマタ | 2005/04/07 15:16

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