指名手配(Tatunari Kura)
1.
1973年の厳寒の頃、4月から私が暮らすであろう札幌の下宿探しの旅に、”日本の思い出に“と云い彼は同行した。
母が大通公園にほど近いワシントン靴店前の凍て付いた横断歩道で転倒した。
母はいまでも云う、「救急車を待つ間、背の高いお前より、倉沢君の肩がとっても有り難かった。」 と。
2.
辛うじて空港に降り立った。初めての海外旅行、一人旅だった。
入国審査を終え、リュックサック一つを背負い到着ロビーを出る。
幾重もの人の輪の中にあいつの顔を探す。いない。いくら探してもいない。
来ていればあいつからも声がかかる筈だ。 だから迎に来てくれていないのだ。
状況を把握するのにしばらく時間がかかったが、すなわち、私は途方にくれた。
脆弱な精神の持ち主である私は、冒険家たる人のすべき次なる単独行動を即座に中止し、姑息な手段を選ぶ。
なるべく人のよさそうな、できればお金持ちの、叶うならばここバンコクに詳しい、日本語に長ける日本人を物色する。
いた。
白髪混じりの七三に、サハリジャケットの下にはネクタイ、その行動に全くの躊躇が観察されない。
日本のとある大学の教授であるというその恩人に、事情を説明し、とりあえず彼の投宿先のホテルまでの同行許可を得た。
夕闇の迫る始めて目にする異国の雑踏を、途方にくれる私を乗せ、タクシーはクラクションを異常に多用しつつ走る。
恩人の定宿と言うそのホテルのアシスタントマネージャーは親切だった。
住所を書いたメモを見せると、
「お客様はラッキーですね。すぐ近くですよ。歩いていけます。でも、気を付けて下さい。最近、荷物を持った日本人が狙われています。外はもう暗いので、明日にされたほうが、」
地図まで書いてくれたマネージャーと恩人に丁重な謝辞を述べ、私は彼等の制止を振り切ってお別れした。
予算を遥かに超えるはずのホテルだったことがその理由だ。
云われなければただの道、だが言われるともののけ道に変わる。
いつしか道端の棒切れを拾い、利き腕に握り締めている。
街灯もない川沿いの小道を歩く、防御体制を右に集中させるよう、常に左に川を位置する。
多人数が相手なら川に飛べばいい。 もう少しだ、あの建物に違いない。
豪華な真鍮造りの重たい門扉を押し開き、中庭に勝手に侵入し、叫んだ。
「くらさわ! おーい! くらさわ! おれだおれだ!」
小柄な女性が出てくる。
「何なのよー、あんたは?」 もちろん始めて耳にするタイ語だ。
「くらさわ。 ミスタークラサワ。 Kurasawaを呼んでくれ。」 もちろん日本語だ。
年齢不詳のその小柄な女性はにっこりと微笑み、
「後についておいで」 もちろん私にはわかんないタイ語だ。
「オー! なーんだ、今日着たのか。手紙もらったけど何時来るか書いてなかったから、昨日、いつ来るの?の内容の手紙を出したばかりだった。」
1975年、バンコク留学中の、バストイレ・賄いつき更に専任「女中」さん付きの豪華なる、彼の部屋に居候させてもらった時の話である。
パタヤのプール付きプライベート・リゾートに遊び、クルザーを出した。 彼が拳銃で空き缶を射撃している間、私は潜り、オオジャコを揚げた。 屋台に持ち込み、食わせてもらった。 あの時の「ギンライ!」という屋台のおばさんの和訳を知りたい。 その殻は今でも親父の庵に花開く。
あまりの居心地の良さに帰国を忘れ、気が付いたのはビザの切れる前日で、あわててタイ航空に飛び乗った。
3.
タイの大学卒業後、彼は大阪の大手家電メーカーに勤務した。
1981年、私が既に大三島で二人の子供と暮らしていた頃、彼はタイで結婚した韓国系の奥さんと、職場の同僚(女性)を一人伴い、我が家に一泊していった。
相変わらず可笑しなやつだったが、私が獲ったアワビ・サザエ・タコ・カワハギ、それに養成中の車海老の刺身山盛りで歓迎した。
大阪出張の折には、彼の家に厄介になった。
華奢な体付きの奥さんを常にやさしく庇い、睦ましい夫婦の生活を垣間見たのが最後に、彼はタイに赴任した。
1991年、私が天草で孤軍奮闘していた頃、なにを目的にしたのか覚えていないが、奴の会社の電化製品付随の取説に記載されていた本社へ電話を入れ、タイ事務所の連絡先を聞きだし、居るかも知れない奴宛にFAXを入れた。
「斯く斯く然々、こうゆう人がそちらにおりませんか?」
数日後、彼から返信が来た。
「永住を決めた。 外国人は土地が買えない為、妻名義で広大な土地を買った。 メールに依存している為、自宅の住所を知らない。」 と。
そして、彼は消えた。
大泉屈指の小さくも逞しいウィングTB、倉沢。
お前は今どこでその優しさを披露しているのだ。
4.
“大泉高校ラグビー部50周年記念誌”は、25期井口を編集責任者に1999年6月に発行された。
237ページに及ぶ厚いその印刷物の表紙は、同じく25期仲間の手により、素敵に彩られている。
記念誌のほぼ真ん中のページに奴の投稿文章が掲載されていた。
編集者の投稿記事への要望は「大泉ラグビーとその後の人生との繋がり」をコンセプトにしたものの様だったが、奴の記事は、
「私は、1997年にある電機メーカーを退職し、その会社のタイ販売会社の一つでアドバイザーをする傍ら、タイの大学や会社で、経営や経済のセミナーを行っています。」
で始まる味気ない現況報告に止まっていた。
連日の夜を徹した記念誌編集作業のお陰で、ラグビー部25期有志の結束は一段と強まり、我が年齢も無考慮に現役の練習台としてグランドに集合する暴挙に至るまでとなったあるとき、同期メンバーの一人が飲み屋を開店したとの情報が入った。
2004年の夏のことである。
「久しぶりにみんなで集まるべよ」は当然の成り行きだ。
ところが、奴の連絡先を誰も知らない。
誰があいつの投稿原稿を依頼し且つ受け取ったのか、記録も記憶もないという。
捜索の壁は厚かった。
彼が過去属していた会社のルート、タイ日本人会ルート、果てはタイ在住の友人・知人に依頼し、電話帳検索を始め脚で探してもらった。
が、捕まらない。 ご両親は既に他界しているはずだった。
07/19 あきらめ始めた頃、
「あいつの兄貴が20代で国立大学の助教授になったと聞いた事がある。 当時は騒がれたようだ。」
仲間の一人がぽつりと思い出した。
大学を当たる。 いた。倉沢姓を名乗る人物が某国立大学の大学院に籍を置いていた。
07/23 「弟の住所をお知らせします. 残念ながら電話番号はわかりません。このアドレスに一年ほど前に手紙を書いたときには届いたようです。」
5.
バンコク在住の知り合いがいるという友人に事情を説明し判明した奴の住所を連絡すると、その友人にメッセンジャー役を快諾してもらったとの事。
その住所は日本でいえば東京と横浜の距離感のところらしい。
07/24 メールでメッセージを託した。
「タイのお友達には恐縮ですが、本当に訪ねていただけるのなら、お願いがあります。
彼以外の仲間全員に送った案内状(添付しました)と、花束をお届け戴ければ幸いです。
アイさんと言う素敵な奥さんがいらっしゃるはずです。
奥様にはピンクのカーネーション、旦那には赤い薔薇がお似合いです。」
07/26 友人からバンコクからのメールが転送されてきた。
「雨の中、目的地にたどり着きました。大きな犬が牙をむいて出迎えてくれました(アーこわかった)。
案内状を渡しておきました。日本へ連絡すると言われてましたので、もう電話が行っているかも知れません。
花は都合により間に合いませんでした。」
だが、いくら待っても電話が来ない。
08/07 私の自宅に白いダンボール箱が届く。
奴からの小包に間違いはなかったが、中身は酒のつまみばかりで何のメッセージもない?
その解釈に戸惑いを覚えたが、差出人住所欄に電話番号の記載はなかった。
08/12 「つまみ届いた?」
やけに近くに感じる受話器から聞こえた声は、確かに奴の物だった。
「アイは元気だ。 俺は今、仕事していない。
上の子供が24歳、下の子は15になるが一度も日本に行ったことがない。
連れて行きたいが日本は金がかかるので困る。
この前、お前の手紙を持ってきた男はいったい何者だ?」
「ずいぶん探したぞ! 手紙を届けたのは俺の友人の友人でけんチャンと言うらしい。」
「5年前の大泉の記念誌に投稿した際、連絡先も添付した。
出来上がりはいまだ送られて来ていないが、記念誌に俺の連絡先が記載されてあるものと思っていた。
以来誰にも連絡が取れず、いぶかしんでいたところだ。
14日は電話で参加する、店の番号教えて。」
2004/08/14夜 仲間のお店でタイから送られてきた乾き物を摘まみ始めた頃、国際電話が静かに音をたてた。
テーブルの上で手から手へ子機がいつまでも廻り続けた。
6.
2005/08/14 久しぶりに電話をかけた。
「息子がようやく刺身を食べるようになった。 だが、タイの魚は不味い。
10%もあった銀行利子と株配当で今まで生計をたてていたが、タイのバブルも弾けて飛んだ。
そろそろ働かないと不味い。」
どなたかこの仙人のような小男の再就職先を斡旋して!
2005/09/23 升
* 挿入画像②はその後わざわざ訪問して頂いた“けんチャン”の友人のkunkoさんのシャッターによる(2004/08)。
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