プレースキック(信は力なり)
1.
ラグビーの得点方法は大別すると2つ。
一つは敵陣のゴールライン後方にボールをグランディングする“トライ”。
もう一つは敵陣のゴールライン中央に立つ2本のゴールポスト間を繋ぐ長さ5.6メートル・高さ3.0メートルのクロスバー上を、脚で蹴ったボールが通過する“ゴール”がある。
“ゴール”は更に、“トライ”後のコンバージョンゴール、ペナルティゴール、ドロップゴール、の3つに分けられている。
この内のドロップゴールは、両軍血みどろの戦闘中に如何なる場所からでも蹴り上げたボールが敵陣のクロスバーを越えれば3点を得ることが出来る、戦術的なプレイである。
条件は一つだけ、キッカーは蹴る前にボールを一度だけグランドに落としリバウンドしたボールを蹴ることだ。
相手のタックラーが迫るなか、よほどの好機と技術がないと成功しないし、失敗した場合、相手に攻撃権を譲ることにつながる為、よほどの混戦ゲームか大差をつけた余裕のチームが極稀に見せるプレイだ。
コンバージョンゴールおよびペナルティゴールは、ドロップゴールとは性格を全く異にする。
「一人は皆のために、皆は一人のために」の標語を訓示にするラグビーに、コンバージョンゴールおよびペナルティゴールなるルールが存在すること自体に私は疑問を抱いている。
この二つの“ゴール”に及ぶ起因は我軍のトライあるいは敵軍の法律違反なのだが、その式進行は両軍の動きを停止させたなかで静粛に執り行われる。
クロスバーを狙う権利を与えられたチームのゲームキャプテンの指示で、たった一人の人が先ず進み出る。
コンバージョンゴール(2得点)の場合“トライ”ポイントから後方タッチラインの平行線上、ペナルティゴール(3得点)時は相手が反則を犯したレフリーが指差すポイントから後方タッチラインの平行線上から蹴る事がルール。
さらに、相手チームは自陣ゴールライン後方に、みかたはキッカーより後ろに居なければいけないのもルールだ。
チームのその代表者自身がゴールポストとの距離・角度から選んだ場所に、土を盛り楕円のボールを固定する。
両軍60個の眼さらにはスタンドの無数の瞳が見守る中、たった一人で、彼は助走のための後ずさりをまるで歩んできた彼の人生を振り返るが如く、一歩・二歩・三歩・・と、後ろを振り向かずに歩む。
もはや視界には楕円のボールとゴールポストしかない。
呼吸を整え、彼自身がプレースしたボールに向け踏み出した瞬間が、両軍の戦闘再開の合図だ。
ゴールラインに居並ぶ男達が一斉に彼に向かい潰しに来る事を、彼は充分承知している。
緊張の瞬間。
この一蹴りがこのゲームの勝敗を決定するパターンもしばしばあるのだ。
私は過去一回だけこの途方に暮れるやな役目を“プレースキッカー”負傷退場の因果で、ゲーームキャプテンの立場上、演じた経験がある。
諸々のプレイヤーと同様の所作を行なったつもりだったのだが、私の右足から離れたボールはゴールポストに向かいはしたが、天空を飛ばず地を這った。
コロコロと。
イコールこの得点方法はキッカー唯一人の個人的責任にかかってしまう。
15名のプレイヤー一人々々が自身の身を殺しながらボールを奪い取り、さらに繋いで行く事によって初めて“トライ”が生み出されるラグビーというスポーツのなかにあって、異質な部分なのである。
ルールだから仕方がない。
この繊細な役目を担う人はチームの中でも、運動量あるいは相手との接触プレイの機会が比較的少ないポジションに配置されている人が行なうのがほとんどで、10番や15番の背番号をつけた人達が選ばれる事が多い。
2.
『山口良治さんって、この前話してくれたラグビーの監督ですか? 京都市伏見工業高校ラグビー部総監督と書いてありますが・・』
友人からメールが舞い込んだ。
2月4日、この日日本のどこかで優れた教育者の集まりがあるらしい。
優れものでも教育者でもない私には無関係なのだが、この友人は優れた教育者の一人なのだ。
『鋭い眼、眉間の皺を持つ、いかついお方ならば間違い無くご本人だ。』
『明日その人の話を聞きます。』
『ホントならサインもらって! ついでに桜のジャージも頼む。』
『サインは請け負いますが、桜のジャージは着てこないとおもうよ。』
『身長185センチ、角刈り、眉間の深い縦皺、真一文字に結んだ薄いくちびる。
四角い顔の額には一筋の傷があるはずだ。
35年前、夜の秩父宮、自陣左コーナーフラッグ直前で白ジャージのイングランド右ウイングの膝下に飛び込んだ時の傷である事を、その人は 覚えているはずだ。
その人の額から飛び散った血液で真っ赤に染められた桜が、眼に焼き付いて消えない。』
『了解。 明日このメール読んでもらいます。』
3.
1971/09/28 19:00 。
日本の花=桜の戦闘着を身に付け、秩父宮ラグビー場の照明塔の明りの下に、その男は立っていた。
真白い公式試合用ジャージを着用した初来日のオールイングランドとの戦いの為だ。
その男、身長185センチ・角刈りの四角い顔の内側には、鷹のような眼・鷲の如き鼻筋・眉間に刻まれる三筋の縦皺・一文字に結んだ薄い唇。彼の背中には、チームの中で最も運動量が要求され且つ最も危険なポジションである、7番(右フランカー)を背負っている。
攻撃時には、バックスプレイヤーが作るポイントに常に二番手として飛び込み、その密集の核となる。
ディフェンス時にはいち早く密集から離れ、ボールの行方を舐めるように追い、内側を抜いてくる相手を即殺するのがフランカーの役目だ。
通常この役柄の人の顔面はボコボコで満身創痍、とても繊細な仕事はこなせないのが現状だ。
だがその男、山口良治は全日本代表のプレースキッカーなのである。
その当時の状況を山口良治は、愛媛県ITV(あいテレビ)高橋アナウンサーに下記語っている。
この日、東京・秩父宮ラグビー場は伝説の舞台になった。
「日本 対 イングランド」
極東日本が初めて世界のトップに挑戦できるという夢がかなった瞬間だった。
実はこの4日前の9月24日、近鉄花園ラグビー場で行われた第一戦で、日本はイングランドと既に大接戦を演じていた。19対27。
ラグビーの母国を本気にさせたこの一戦に、関係者は震え、選手の闘争本能はピークに達した。
そして4日後、ナイターで行われた日本対イングランドの第2戦。
定員1万7500人の秩父宮を訪れたのは2万5000人。
押し寄せたファンはスタンドに収まりきれず、フィールドの周囲にまで溢れ、午後7時のキックオフをじっと待っていた。
そんな異様な熱気に包まれるスタンドの真下、儀式は始まった。
けっして大きいとは言えないロッカールームに日本代表メンバー全員が集まっていた。
テーブルの上には真っ白な塩がうず高く盛られていた。
そして、物音ひとつしない静寂の中、監督大西鐵之祐は、地鳴りのような低くドスの効いた声でこう言ったという。
「おまえ達の骨は俺が拾ってやる」
そしてピーンと張り詰めた空気の中、メンバーの名が一人ずつ呼ばれた。
1番 原。「はいっ!」 2番後川。「はいっ!」 3番下薗。「はいっ!」、4番 小笠原。「はいっ」、5番寺井。「はいっ」、6番井沢。「はいっ」、「7番 山口」
「はいっっ!」…
「いいか山口。狙えるものはみんな狙えっ!」
「はいっ!」
この時、山口さんは、かつて経験したことの無いあまりの緊張感に思わず声も上ずったという。
そしてこの時、大西監督の手にはとっくりと盃が握られていた。
無言のまま、代表一人一人に盃が回され、飲み干して次ぎへ。
決意の水盃…。 やがて一巡すると、盃は監督の元へ。
そして一気に飲み干した監督は、やおら盃を床に叩きつけた。
「青春に悔いを残すな。日本ラグビーの新しい歴史の創造者たれ」
大西監督の上ずった声がロッカールームに響き渡り、選手は体内から「恐れ」と名のつく全ての感情をかなぐり捨て、まるで催眠術にかかったかのように大歓声の中に飛び出していった。
山口先生は続けた。
「そして高橋君。いよいよ試合だ。レフリーの笛がピーッと鳴った。
そうしたらね、終わってたんだ…」
「展開、接近、連続」の大西理論の集大成をはかったこの試合、「大胆な攻撃」と「捨て身のタックル」を厳命された桜のジャージ。
倒して、走って、また倒して80分間。
結果は 日本3-6イングランド。
日本の得点は後半34分、山口選手が決めたPGのみの3点だった。
スクールウオーズのオープニングはこのシーンだった。
「高橋君、ここ触ってみろ」。
突然、山口先生は私の手を自分のひざに持っていった。
スラックスごしに触れたひざ頭…。
「グラグラだろ。これが日本代表のキッカーの膝だよ。日本代表といったって、ケガばかりよ。骨折だって日常だ。でも、ラグビーはやめられないんだよ」
4.
現在のキッカーのほとんどは楕円のボールをほぼ垂直に立て、サッカーのシュートのように斜め後ろから回り込み、けり脚を体の外側に回転させながら足の甲で蹴る。
ボールは斜線の弧を描いてクロスバーへ飛んでいく。
山口良治のプレースキックは独特だ。
彼はスパイクの先でグランドの土を掘り集め小さな山を作る。
その山の頂上を少しだけ窪ませボールを置く。
楕円球の頂点は真っ直ぐにクロスバーに向いている。 まるでミサイル発射台のように。
そして、クロスバーとボールを結ぶ延長線上を後ずさり、助走路とする。
沈黙の後、一歩、二歩、三歩、充分な加速をつけた右足の爪先が、ボールの下の頂点を打ち出す。
あくまでも彼の蹴出したボールは真っ直ぐに、両ゴールポストに挟まれたクロスバーを超えていく。
「日本に初めて訪れたチャンスです。キッカーはフランカー山口良治。
山口は祈るようなポーズでボールをセットしております。
場所は左中間。 距離は約40メートルもありましょうか。
最高の精神力を要求される時間を迎えました。
ゴール成功! 山口やりました。
40メートルのロングキックに見事成功!日本代表に勝利のチャンスが生まれました。」 (テレビ中継の実況アナ)
高校生の私はこの時、安価なゴールライン後方の最前列で観戦していた。
後半戦は目の前が全日本のインゴールだったので、その伝説的なペナルティゴールの模様ははるか向こうで起こった「点」のようなもので、残念ながら記憶にない。
私の鮮明な記憶は、全速で走りこんできたイングランドのウイングを一発で倒した後、私の目の前でむっくりと起き上り静かに胸をはる、鬼の形相・血だらけの山口良治の姿だけだ。
5.
『サインもらったよー! 貴方のメール見せたら 「ソォソォー」 と嬉しそうな顔していたよ。』
堕落している私の友人のなかでも、珍しく優れた教育者であるこの友人を、今後“玉手箱さま”とお呼びしなければいけない。
「信は力なり」。
2005/02/06 升
画像3・4・5・8は、ようこそ秩父宮ラグビー場へから拝借
画像6・10は、ラグビーマガジン(ベースボールマガジン社)から拝借
画像7・9は、プロジェクトX挑戦者たち「つっぱり生徒と泣き虫先生」から拝借
あとがき
この作文の最中にたまたま当時同じ風景を目撃していた旧友から連絡を頂きました。 すかさず、私は色紙Getの報告と共に、本作文中に描いた一つのラグビー・テストマッチに関わる、時代・状況・技術・ルール的「考証」を依頼した。 35年も前のことで、互いに記憶が定かでない中、返信を頂きました。 私の隣席の方とのやり取り及びSH名(ウェブスター?)に違和感がありますが、その主要部分を下記致しました。 思い出なのです。
『添削の必要はないかと思います。若干付け加えたいことがありますので書きます。
まず、当日のチケットを購入したのは私です。岸記念体育館にある関東協会の事務所買いに行きました。4枚買いました。
貴君、Nさん、S、私の4名で観戦したのです。
おっしゃるとおり、貴君とNさんは青山通り側のゴールエリアの後方、渋谷寄りのコーナーフラッグに近い位置だ。山口の額が割れたのが見えたのだったら後半のはずだ。なにせ昔のこと正確ではないと思うが、Nさんの肩に左腕を廻していたのがとてもうらやましく感じた、そう記憶している。私とSは絵画館前通り側、つまりバックスタンドの限りなく青山通りに近い安い席だったと思う。イングランドの選手の中で誰が好きか?と尋ねたら、9番SH、スターマースミスだとSは答えた。今もってその名前だけ覚えている。
ジャパンのFBインのサインプレー、菅平こと”カンペイ”が鮮やかに2,3度決まったことも忘れられない。万谷から伊藤にラストパスが通ってWTBが独走したにもかかわらず、ゴールライン直前で止められていた。
それにしても、なつかしい。』
謝辞 : 迫力をあらわにしたいが為、まことに失礼ながら敬称を略させて頂きました。
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