舫い綱(カツオドリⅡ)
舫い綱(カツオドリⅡ)
<カツオドリ1>にあの時書く事をためらった一つの文節と、掲載を躊躇した一枚の写真がありました。
~<半年に亘る工事の終盤、池の漏水及び注排水設備点検試験を行った。
口径400mmの水中ポンプ4台から順調に揚水し、計算通りの時間で満水になった。
漏水もほとんど無いことを確認した24時間後、排水門を開けた。
潜砂池に紛れ込んでいた赤土が押し出され正面の西表島に向かって一直線に流れた。
河野が見ていたら怒られそうだった。
暇を見つけて遊びに行った。
10年前と同じように白浜で、今度は互いに一人で、髭を蓄えた34才の河野に再会した。>~
~この時の河野はまるで大事な毛布をどこかに置き忘れてしまったライナスの様な顔をしていた。
「どうしたの?」の問いに
「あの人とはだめになった。」
沼津時代と同様に解り易い答えが返ってきた。⇐ためらった文節
メールが舞い込んだのは<カツオドリⅠ>をインターネット上に放鳥した3ヶ月後のことです。
私のカツオドリが戻って来ました。
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河野です。
長きにわたりご無沙汰でした。
昨日、カリフォルニア大サンタクルーズ校に研究員として滞在しているカツオドリ研究の仲間から、下記のようなメールが届きました。
『カツオドリ関係でネットを彷徨っていたら、河野さんのご同輩の方でしょうか、河野さんについての記述を見つけました。
http://y-masu.way-nifty.com/mar/2006/01/post_f6d7.html 』
カリフォルニア経由の若き日の自分や仲間達、彼女の姿、フラッシュバックしてしまいました。
読んでいて、はじめは誰か分からなかったよ。
俺の方は、相変わらず、仕事はボチボチ、、、遊びが目的のような暮らしをしています。
数年前に、西表網取の研究室をソーラと自動発停用補助発電機に代え、自動化しました。
そして、同じ西表島の浦内川河口に浦内研究室を設けて、基本的な運営機能も移してしまいました。
網取は、海鳥の調査研究をする時期、5~9月に滞在し、それ以外は浦内、しかし毎週行ったり来たりです。
ところで、西表の研究所の開設が1976年ですから2006年でなんと30年、島で50を超えるとはね。
ですが、北海道には相変わらず毎冬通い続けていますよ。1ケ月くらいはいるかもしれない。登って、滑って、温泉入って、夜は学生さんたちの卒論直し、、、ネットが便利になって、こんな暮らしもできるようになりました。
機会があったら連絡して下さい。
追伸)
添付写真は、
最近の遊び、川辺で暮らすようになったので、海に出やすい。
Outrigger canoeやSurfski(シットオンタイプの Ocean racing kayak)が日々の遊びです。
河野@西表浦内
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ご無沙汰、ご無沙汰。
ようやくヒットしました。やれやれです。
あの衰弱したカツオドリを持ち込んだお方のHPには2度ほどメールやコメントを送ったのですが“あやしい者”と思われたのか、無しのツブテでした。
カリフォルニア経由とは何と素敵な!
ハネムーンベイビーの娘に一昨年男の子が産まれ、私は困った事にお爺さんになってしまいました。
現在、横浜におります。
1年前まで毎日平塚に通っていました。
茅ヶ崎を通過する度、貴君を思い出していたりしていました。
茅ヶ崎に帰る事あればご一報下さい。
ところで、例のカツオドリは元気になったの?
追伸
① 中川やタツロウのホームページの存在 知ってる?
② 白い山のもやい綱のおばさんに再びお会い叶う日を、お婆さんと二人、期待しております。
升
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みんな、ひきずってるね。
中川も、升も、もちろん俺も、、
早々に、もやいのオバさんにも、この話とWebページを転送して伝えましたが驚いてました。
相変わらず、あのまま、ずっと別居、遠距離“変”愛というやつなんですけどね。
“元気にリタイヤ共同生活”が我らの標語です。
空間的距離は変わらんけれど、時間的距離はずいぶんと近くなって、なんせ今回もカリフォルニア経由ですから、正にです。
彼女も、さらに驚くことに、杖をつきながら、足が痛い、腰が痛いと言いながら、客の迷惑も考えずにまだ仕事してるんだけどね。
当時は一度行ったら太平洋上からアンカレッジ経由で2週間、冷戦が終わった今では大陸の上を飛んで往復4日間、、
八重山もプロペラからジェットへ、石垣西表間のフェリーは35分、1日20往復、、そしてメールですから。
例のカツオドリは、10年前に仲ノ神島で標識した鳥なんだけど、衰弱し過ぎて、ダメでした。
毎年、落鳥した海鳥を何羽も野生復帰させるのだけど、ダメなことも多くあって。
ところで、神島では、20代の頃に標識した鳥が少しですが、まだ生き残って、繁殖しています。
升のHPのどこかに書いてあった言葉で、『今では、もうどこの空を飛んでいるのか分からない、、』というような素敵な表現があったけれど、当時は足環標識と観察しか方法が無かったのに、今では加速度・深度ロガーだのGPSだのが開発されて、自分のことよりカツオドリのことの方が分かるようになってきた。
散漫な話ばかりでした。
また連絡します。
河野@西表浦内 (* タツロウ氏のHP教えて。中川のはもちろん知ってます)
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引きずるとほつれるので、幼稚園生の手袋のように、首からぶら下げて私は歩いております。
タツロウ氏のHPは見つかりましたか?
さて、もやいのM(送ってもらった画像タイトルがM&Hだったので勝手に解釈しました。忘却をごめんなさい。)おばさんの件。
竹富島から2回目にお世話になった時、あなたは確かに「あの人とはダメになった。」と運動会の徒競走で転んでしまった小学生のような顔をしていました。
私がHP上で愚妻を交えた画像をチョイスしたのはそんな理由です。
あの時にUPするのを躊躇した画像を添付します。
『杖をつきながら、足が痛い、腰が痛いと言いながら、客の迷惑も考えずにまだ仕事してる』 M さんを大事にして下さい。
老後の事を考えて。
追伸
海鳥が30年以上も空を飛び廻り続ける事が出来るなんて知らなかった。
ロガーやGPSを携帯して貰うより、風力発電付き超小型ビデオカメラを持たせたほうがいい。
きっと、カッパの映像より凄いのが頂けるはずだ。
升
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しかし、ほんとにまあ、ご記憶の良いことで。
ドジで不器用な俺は、障害物競争で引っかかったり、の繰り返しでした。
だけども、都会暮らしのオバさんから見れば、都会に少ない、そのあまりのダサさを、見ていられなかったようで、引っかかった網を外しに来てくれました。
30年近くも齢を重ねて、互いに寄りかかって、ようやく人らしくなりました。
この写真も2枚ともに、Mオバさんに送らせてもらいます。
升の話、とても喜んでました。
タツロウ氏のHPも見つかりました。会える機会はないのですが、中川を通して、時折、彼や畑中の噂話などが届きます。
ところで、この冬に、大学丸Ⅱ世佐藤孫七船長が亡くなられたこと、ご存知です?
小樽港、西表への航海、西表に来てからの調査、赤道域の調査航海などなど、船上で様々なご教示を受け、ずいぶんお世話になりました。
学生時代に繋がる、大学下のカワゾエ町や小樽港、毎年、Mオバさんと北海道ニセコへの行き帰り、近くを通っています。
例年、3月のこの時期、二人であちらこちらの春山歩き、ですが、、今年は仕事切れずでした。
ところで、昨年、早朝にぜんぜん知らない、やけに馴れ馴れしいオバさんとムービーをかまえたままのオジさんが訪ねてきて、河野君、河野君、、、
きっと俺の知らない親戚かなにかなんだと思うぐらいの感じでしたが、それは、我らが水産学科増殖唯一(あれっ二人だっけ)の姫、『栗原育代』でした。
海洋土木の同級生、川原というのと結婚したんだけどね。
育代、覚えてます?
河野@西表浦内研究室
* 写真は、05年度保護飼育し、無事に野生復帰していったカツオドリ若鳥ですよ
{「杖をつきながら、足が痛い、腰が痛いと言いながら、客の迷惑も考えずにまだ仕事してる」 M さんを大事にして下さい。
老後の事を考えて。}
痛感しています。
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孫七船長に合掌。
入学式、オリエンテーションの時。
苗字の頭文字があいうえお順で近くもない、その集まりでは珍しい一人の女性らしきお方が、何故だか私の前におりました。
クラス点呼の後、フッと振り向いたその人はニッと笑いながら 「ねぇねぇ、マスモト君のマスってどうかくの?」
○○○○の常習犯であることを見抜かれた私は、顔を赤らめながら 「うん!手でかくんだよ!」
それが最初で恐らく最後の栗原育代との会話だったかも知れない。
画像にtakasiの文字が含まれていますが、中川が撮ったの?
追伸
ネットで都立大泉高校25期を検索してください。
何処かに最近の中川と私の年老いた顔が何枚かご覧いただけるはずです。
そう、希有な巡り会わせで中川とは高校・大学とも同期でしたが、当時は互いにあまり疎通なく過ごしていました。
互いの実家は徒歩10分の距離です。
今回、”引きずり仲間”として急速に接近しております。
信長さんの時代に言わせれば人生終わりの年齢を越えてしまいました。
あと、30年。
常にワクワクする余命を昔の仲間と分かち合えれば幸いと思っています。
升
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『画像にtakasiの文字が含まれていますが、中川が撮ったの?』
かのカツオドリの名前です。
2005年夏季に、保護飼育し、飛び立っていった2羽のうちの1羽です。
カッパのタカシではなく、担当の院生と学生の名前、Takashi & Hikaru です。
6月から11月まで網取から放し飼いにし、その後、渡去していきました。
放し飼い、写真のような感じです。
でも、カッパのタカシにも、似ているような気がします。
今回のこと、升やM、俺の昔の姿、升やタツロウ氏のHP、過ぎた日々が新鮮でした。
一気に生き返った気がしました。
日々、接している当時の俺たちと同じ年頃の学生さんたちに、升のHPを見せてやりたいとおもってます。
大人に成りきれず、相変わらず、海に、山に、うつつを抜かしている俺でありますが、、、、
『あと、30年。常にワクワクする余命を昔の仲間と分かち合えれば幸いと思っています。』
同感です。
河野@西表浦内
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舫い綱(もやいづな):船を岸壁や別の船につなぎとめるロープの事。
サバニの舳先のしなやかな指先で捌かれた太い一筋のロープは、およそ30年もの長い間、それぞれの海を行く二人をしっかりと舫っていたようです。
30年も前に神島を飛び立った海鳥が、青い青い空を高く高く飛びながら、いつも見守っていてくれたに違いない。
2006/04/12 河野&升
あとがき
「こうやって繋いで読まされると、まるで、男友達の前で、パンツを脱がされるような気恥ずかしさです。
が、この年齢になれば若い頃の恥はかき捨て、でよいのかもしれません。
升流でまとめて下さいな。俺は、それでよいです。」
河野@ カツオドリ
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