スウィートテン・パールイヤリング
1.工業団地は近くて遠い
結婚10年目の年。
沖縄県I市所有の埋立地が企業誘致をしている情報を耳にした。
あっという間に、その製造業特定分譲地を買おうと言う結論に達した。
単価は破格に安く、道路が広く、那覇空港にもほど近い。
さらに、様々な優遇特典や助成金も得られる。
バブル崩壊前の時代、企業としては美味しい話だ。
だが、I市側の販売審査は極めて厳しいものであった。
まず、購入した土地で何を作る(製造する)のかを問われる。
当たり前の話だが、事業計画書(趣意書・資金計画書・土地利用計画図面・構築物設計図面・電気水道使用計画書・汚水排水計画書・使用人員計画書など)を添付した上で、製造物名や製造工程を提出しなければいけない。
もちろん、事前に会社の登記簿謄本・定款・企業実績・取締役会議事録は提出済みだ。
当初、那覇国際空港に近い立地条件を最大に利用して、台湾産活き車えびの建て直し基地を作らんとして、循環式海水ろ過装置付き大蓄養水槽を累々と並べた設計図添付の事業計画書を創って提出したが、魚介類の養殖や蓄養は水産業とみなされ製造業の範疇から除外される理由から計画は棄却されてしまった。
広大な埋立地にはまだまだ空地が沢山あり、I市側も企業誘致に必死だ。
「この計画ではどうか? まさに、食品製造業に違いないのだが。」
次の機会に市を訪れた私は、既に顔なじみになった担当職員に、差し替え用の書類を出した。
職員は書類を一読後、満面の笑みを浮かべ、
「これならば問題ありません。
早速この製品のサンプルを提出して下さい。
私たちも今後沖縄を代表するアイテムとして応援させて頂きますよ。」
口頭ではあったが“分譲許可”の見込が出た事を帰りしなに、沖縄公庫(沖縄振興開発金融公庫)の融資担当に報告し、帰島した。
顔なじみの公庫の担当はニッと笑ったが、私は困り果てていた。
2.困った時の味噌頼り
私は再提出した事業計画書内趣意書にかく書いた。
『年間百万人の観光客が訪れる沖縄に於いて、彼らが持ち帰る土産物に纏わる経済的波及効果は今や県の基幹産業の一翼を担うまでに成長しております。
しかしながら、那覇空港を筆頭に県内の土産物店を垣間見る限り、琉球ガラスや陶器などの工芸品・琉球泡盛・黒砂糖製品が目立ち、水産製品はスクガラス・イカ・シャコガイなどに代表された瓶詰めの塩辛が細々と置かれているだけです。
千歳空港に燻貝柱・羽田空港にクサヤ・福岡空港にカラシ明太子・鹿児島空港にさつま揚げがあるように、那覇空港にも県を代表する水産加工品を置く事が急務となっております。
今や沖縄県下の車海老生産量は日本一となるまでに成長しております。
弊社におきましては長い歳月をかけ、素材の全てを県産品で賄った「車海老の味噌漬」の開発に成功致しました。
つきましては、今回その製造拠点を御市工業団地内に移し本格生産を開始し致したく、計画を進めている次第です。
中略
更には、当該工場の屋根全体を那覇空港離発着便搭乗乗客に対する広告塔と位置付け、巨大な車海老の絵を描き、水産立県沖縄を広く内外にアピールし県の水産振興にも寄与出切る意気込みであります。後略』
困った事はI市に提出する製品サンプルがない。
サンプルどころか車海老の味噌漬けなど作ったこともない。
だが、言い出した以上後に引けない。
先ず、兄弟会社のホテルの板長に、島の素材だけを使って海老の味噌漬が出来るかどうか、打診。
“大丈夫”の返事をもらい、試作品を一緒に作る。
その工程は、
① 海老が曲がらないように尾から頭にかけ竹串を刺す。
② ①を1.5%の沸騰した塩水に入れ、海老が浮き上がってきた時点で取り上げ、氷水で冷やす。
③ 久米島味噌に黒砂糖・久米仙を練り合わせ、西京味噌風のあわせ味噌を作る。
④ 串を抜いた海老をサラシで包み、③を塗り込み、+5℃で48時間熟成させる。
二日後に試食した処、これが旨い。
レシピはこれであっという間に完成した。
商品化するためには、更に、包装形態並びにパッケージの考慮が必要だ。
今回、可能な限り、実用的及び安価なものに仕上る事が必須条件。
私はレトルドカレーのパッケージをイメージして海老の味噌漬は真空包装にする事に決めた。
早速、特大ガスコンロに特大鍋、ステンレス調理台にステンレスシンク、そして、真空包装機を購入(〆て100万円)。
一方、加工食品を製造・販売するには保健所の許可が必要との事が判明し、消防署に同居している島の保健所に相談に行った。
活き海老の出荷時期には梱包資材のオガクズが頭から舞い落ちる出荷場に、味噌漬製造用に購入した備品を置き、掃除を徹底した上で保健所の担当者に見てもらう。
「出入り口に防虫網を設置していただければOKです。」
惣菜製造業の許認可を得、いよいよ本格製品サンプルが出来上がり、I市に持ち込んだ。
「ほーっ!なかなかおつな味ですな。」
試食をすませた担当がティッシュペーパーで手を拭きながら云った。
「いいでしょう。今度の審議会にかけます。お手数ですがサンプルをもう少しご送付ください。審議員全員に試食させます。」
かくして、I市工業団地内分譲地購入プロジェクトは成功裏に完了した。
実際にその土地と建物(設計図面提出済み)の内部で何を作るのかは、今から考えればいい。
3.売れない原因
さて、印刷物という物は原版が高いもので、100部と10,000部の価格差は紙代とインク代の差額であって、見積価格はほとんど同じになる。
味噌漬専用の化粧箱は必然的に10,000個納品されていた。
設備投資も100万円を既に上回っている。
私は“車海老の味噌漬”を本気で売ろうとしていた。
とりあえず、レシピを提供してくれたリゾートホテル久米アイランドの売店と久米島空港の売店に置かせてもらう。
さらに、郵便局の“ふるさと小包”に登録をしたうえで全国の郵便局にチラシを置いた。
那覇営業所のスタッフには那覇市内のビジネスorリゾートを問わず宿泊施設の客室にパンフレットを置いてもらう様、脚で回ってもらい数件のホテルとの契約が成立した。
一方、那覇空港に立ち並ぶ土産物売店へのアプローチを依頼する事も忘れない。
だが、一向に売れない。
その最大理由が販売価格にあることはあらかじめ予測していたが、予想をはるかに上回る“全然売れない!”日々が継続した。
末端売価=原材料費+副資材費+製造光熱費+製造人件費+原価償却費(開発費含む)+広告宣伝費+営業人件費+販売代理店リベート+利潤。左記の当たり前の公式に則った場合、活き海老の販売単価よりも特に副資材費・製造人件費・代理店リベートの部分の経費負担が多く、結果、日本全国津々浦々に活きたまま宅配可能な活き海老の販売単価より海老1尾換算でははるかに高いものになる。
もくろみでは仕掛けがあった。
主原材料である海老はもちろん自社生産の車海老だが、活き海老として出荷できない水揚作業中に衰弱した“アガリ”と呼ばれる固体を使う。
通常“アガリ”は氷詰めにして市場に出荷しても活き海老の1/3程度の値段しかもらえなく、活き海老の平均相場7,000円/kgの時代そのほとんどは冷凍にして島内価格3,000円で販売していた。
したがって、原材料単価は3,000円でも計上可能であったのだが、”アガリ”も活き海老と同じ生産コストを持つ、さらには、万が一、途方もなくヒットした場合をも想定し、全生産量の数パーセントにも満たない”アガリ”だけに原材料を依存するわけにいかず、原価計算上原材料費には7,000円を当てた。
海老はピクピク目の前で跳ね回っていてこそ、7,000円の値打ちだと信じて疑わない製造・販売者の立場である私にとっても、この味噌漬けは高すぎた。
4.敵前逃亡は銃殺刑に値する!
売れない月日がただ経過したある日、
「空港売店のコンタクトに成功しました。近日中に担当部長様が本社を訪問します。」
那覇営業所からの嬉しい連絡。
翌々日、指定の到着便を迎えに島の空港まで出向いた私はYS-11のタラップを降りてくる不思議な人物を目撃した。
その男は到着カウンターを通過すると私に接近し
「久米さんですか? 私、沖縄四つ越の者ですが。」
私の待っていたお方に間違いはなかったが、暑いのにも係わらずスーツにネクタイ姿の、その人物の左手にはなんと手錠がかけられていた。
沖縄四つ越。
東京銀座を始め全国到る所の都市にビルディングを持つ老舗デパートの現地法人は、那覇空港ターミナル内の売店をも経営している。
一通りの挨拶をすませ社長の待つ養殖場の応接室に案内する。
私の視線は手錠に釘付けのままだ。
「せっかくですので実はお土産を持参しました。なかなか手に入らない逸品ばかりです。」
手錠の片側から外されたアタッシュケースの鍵を開けながら売店担当部長はのたまう。
無言で見つめる我々の眼の前のテーブルは、アタッシュケースの中身であっという間に埋め尽くされた。
それは光り輝く宝石・貴金属のたぐいで、その全てに商札が付いている。
「如何ですか?四つ越扱いですからご安心してお買い求め頂けます。」
0の羅列が異様に長い商札から数字の単位を把握するのに時間がかかったが、その商品群の平均単価はおよそ100万円。
この手の物にまったくの興味と金のない私は、
「社長、素敵じゃぁないですか、その300万のネックレスなんか奥さんにきっとお似合いですよ!」
即座に振った。
「申し訳ありません。急用を思い出しました。後は君に任せる。」
社長は即座に逃げた。
気まずい沈黙の時間が流れる中、並べられた貴金属がまるで味噌漬けの化身の様に鈍い光沢を放ち続けていた。
「丁度今年で結婚10年目になるので、せっかくですから、その記念になる“単価”の物を見繕って頂けませんか?」
私は乾き切った声でようやく発言した。
「それはめでたい。では、これなんか如何でしょう?丁度100万ですが。」
手錠が返す。
「いやぁー、100年も今の女房と連れ合いたくないもんで。10周年記念で是非。」
「なるほど、お気持ち解ります。でも申し訳ないことに、10周年品は一つしか持ち合わせがありません。これでよろしいか?」
手錠はテーブルの一番端っこに置かれていた真珠のイヤリングを持ち上げた。
「いやー!素敵ですねぇ。女房が逆立ちして喜びますよ。」
それが一番安い商札が付けられている事を看破していた私は、湿った声で頷いた。
5.反撃のバースデイプレゼント
来た時と同じように手錠はケースと左手を手錠でつなぎ、YS機中の人となった。
「とんでもない輩がきた。
俺の財布から10万円かすみ取っていきやがったぞ!
どうしてくれる!
味噌漬の売り上げを上げない限り、あの10万は営業経費として会社は出さない。
それにしてもあの手錠男、味噌漬はおろか海老の話なにもしないで帰って行ったぞ。
君ら何か勘違いさせるようなアプローチをしなかったか?
次回はこっちから乗り込む。アポイント頼む。」
二人しかいない営業所のスタッフを叱咤した。
「11月21日 Am11。沖縄四つ越本店7階“蒼龍”にて会食のアポ取れました。」
営業所からの連絡。
私は当日の不測の欠航を避けるため前日の最終便で那覇に飛んだ。
なじみのビジネスホテル“エアウエイ2”に宿を取り、付帯の小料理屋でなじみの板さん相手にブリ鎌の照り焼きと手羽先の塩焼きを平らげ、頃合いを見てなじみのスナック“ピアジェ”に足を運んだ。
ピアジェはいわゆる3次会用の飲み屋で23時以降から早朝までが稼ぎ時で、開店の21時頃にはこじんまりとした店内に客はいない。
カウンターにボックス席が二つ、10名も入れば満席の店だ。
カウンターの端っこに座り、ミネラルウオーターの空き瓶に水道の蛇口から直接水を注いでいるママさんの姿をぼんやりと眺めながら、水割りのグラスを傾けていた。
水が並々と注がれた10本程度の瓶を流しに並べ、それぞれの口に割り箸を深々と差し入れる。
箸の体積の分だけの水が溢れ出て、割り箸を抜き去った後の瓶には均一な空間が出来上がる。
瓶を丁寧に拭き、カウンターの端に並べれば、れっきとした開栓直後の瓶詰ミネラルウオーターに化ける。
「凄い事してるねぇー!」
「浄水器を使っているから同じなの。」
「そーゆー問題か?なぁるほど。」
納得しながらも、
「その瓶のオリジナルはいつから使ってる?」
「オープンの時に仕入れただけだから1年前ね。」
「たまには内側を洗わないと!ほら、水面部分に水垢がついているぞ。」
「大丈夫、酔っ払いには見えないから。」
無駄話をつまみに3杯目の水割りの氷がカランと音を立てた時、背後のドアが開いた。
「やっぱりいましたねー。場長が那覇出張だと聞いて探り当てました。我々は昨日から来てます。」
アイランドの営業支配人だ。
その後ろから入ってきた総支配人が、
「きょうは場長、バースデイでしょう?ピアジェのママと二人きりでお祝いとは許せませんなぁ。さぁ、パーッといきましょう!」
6.独唱 カエルの唄
翌朝、見慣れたエアウエイ2のシングルルームのベット上で覚醒した。
妙に重たい頭をもたげて辺りを見回す。
どうやら、私は下着一枚の姿で寝ていたようだ。
ライティングデスクのイスの背もたれに脱ぎ捨てたスーツが無造作に掛けられている。
そうだ四つ越に行かなければ行けない。
時計を見る。
10時ジャスト。
いい時間だ、シャワーを浴びてすっきりして出かけよう。
サニタリールームをふらつきながら開け、熱いシャワーを頭から浴び、歯を磨く。
生き返った気分でバスタオルを腰に巻き部屋に戻ると、先ほどまで気が付かなかった異臭が漂っていた。
異臭のみなもとが私の脱ぎ捨てたスーツであることを発見するのに時間はいらない。
それはスーツと言うよりも雑巾と呼ぶ方がふさわしい程に変わり果て、しかも恐らく自身の物であろうおびただしい嘔吐物が付着して乾燥の経過を辿っていた。
約束の刻限まで後40分。
行動の選択肢は次の三つに限られた。
①雑巾を着て行く。
②丸腰デパート4階の紳士服売り場で着替えを調達する。
③ドタキャンする。
蒼ざめた脳みそで先ず財布を確認。
千円札2枚と帰りの航空券を数え、②案が消えた。①と③の二択に迷ったが“雨が降ろうと槍が降ろうと約束したゲームに中止は有り得ない。”と言う標語で育った古いラガーメン精神が③を消去した。
意思方向決定後、タオルを熱湯で絞り乾燥途上の嘔吐物をおよそ15分の間クリーニング屋以上の手さばきで拭い続けた。
11時5分前、営業所のスタッフと待ち合わせをして四つ越のエレベーターに乗る。
雑巾から布巾に昇格した以前のスーツは湿気て重たく、体温で温められ湯気が出ているようだ。
密閉された狭いエレベータに運悪く乗り合わせた一般客共々、我がスタッフもそれぞれ鼻を塞ぎ、射る様な視線を布巾に浴びせる。
布巾がただ俯いて肩を震わせていたのは泣いていたわけではなかった。
再び、羞恥心をも焦がしてしまうほどの激しい吐き気が私を襲って来たのだ。
十二指腸側から胃が収縮し、内容物が食堂を遡り、口腔一杯に溢れ出る。
それを気合で繰り返し嚥下する。
エレベータは4・5・6階で恨めしくも乗客を交換し、7階の扉が開いた時、胃内容物の体積は私の口腔容積をとうとう上回った。
開いたドアの向こうの笑顔で立ち塞がっている“手錠”に、右手で口を塞いでいる私は左手で手を振り、当時は当たり前に設置されていたエレベータ出入り口脇にある円筒形の灰皿にしがみ付く。
万人が見守る中、灰皿を抱いた私は、“カエルの唄”を歌い放ってしまった。
♪ゲッ、ゲッ、ゲッ、ゲッ、ゲロゲロゲロゲロ、ゲッ、ゲッ、ゲッ!♪
7.一万部の重み
“カエルの唄”独唱の末、取引失敗の責任を取り、私は自らを天草事業場へ左遷させた。
工業団地の一件を引き継いだ種子島事業場の場長があわてて電話をよこした。
「味噌漬けホントに作るの?」
「それは貴方の裁量に委ねます。方針変更にI市がグズグズ言うようならば、“前任者が勝手にでっち上げた事で彼は解雇されました”とでも云っとけばOKでしょう。」
1年後、屋根に大きな海老の絵を描かれる事もなく埋立地に建てられた建物は、地元のスーパーの小分け作業の下請けを業とする内容で操業が始まった。
私は天草事業場閉鎖と共に退社したが、風の便りではそれも3年あまりで閉鎖されたと聞く。
2年ほど前、藤枝に住む親しい友人と会う機会があった。
11月の事。
「郵便局でお前がまえいた会社のチラシを見つけた。つかいものにしたいがどう?」
私は2分ほどの時間をかけ当該商品誕生の経緯を口頭で説明した。
商品誕生16年後の事だった。
「やめた!活き海老のほうにする。」
友人はさすがに賢い。
島の資材置き場で16年もの間、私の発注した1万部の化粧箱の一部が眠り続けていたに違いなかった。
そして現在(平成17年)、“沖縄産車海老の味噌漬”商品番号5389-120は“ふるさと小包”カタログブック花鳥風月 花コース1 から抹消されている。
どうやら18年の歳月をかけようやく1万個の化粧箱を使い切ったのか、1万個弱がゴキブリにかじられ尽くされたのか、私は知らない。
あとがき
写真撮りのため愚妻に頼み当該曰く付きのイヤリングを出して貰った。ところが蓋を開けてびっくりアキサビヨー!
「リング」だった。
純粋にスウィートテンのプレゼントだったと信じて疑わなかった妻に、私がその“物”を正確に覚えていない事、その上、本屈文を読まれてしまった事により、今、二重の冷たい眼で今睨まれている。あのおぞましい井戸から這い出てTVから抜け出してくる“貞子”のまなこで。
カエルの唄が 海鳴の様に どこか遠くで聞こえた。
2006/04/26 升
連載で始めたシー、いまさらタイトルを換えられないしー!
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