歴史が埋め立てられた町(安浦3丁目)Ⅰ
田戸海岸の埋立工事は明治44年に始まり、難工事を繰り返した挙句、安田財閥は安田保善社が総てを請け負い、計画総てが完成したのは大正11年12月のこと。
埋立総面積は7万7百3坪82。
当時、新に出現したこの広大な平地には埋立作業に関る人たちを収容する長屋しかなく、その地域は安田の一文字を取り、安浦町と名付けられた。
ミッキーマウスが生息する浦安と混同されては困る。
その土地が大きく揺れたのは大正12年9月1日に発生した関東大地震後のことだ。
結果、およそ2千の難民が安浦町の市提供バラックに落ち着く事になる。
必然、米味・噌醤・油・酒・雑貨・魚・八百屋などの店が並んだ。
さらに、市復興計画部の企画により、震災前に市内に散在していた銘酒屋を、この地に集めた。
条件は一軒に付き金5千円の公金貸与。
あっという間にバラック建ての銘酒屋が3丁目に88軒開店した。
此処で云う銘酒屋とは「娼妓が男客に酒を飲ませてもてなし、密かに売淫させることを本業とする店である」。
当時、公娼制度により政府が公式に認めた「遊郭」に対し、「銘酒屋」は警察署も半ば公然と認めてはいるもののあくまでも私娼であり、 施設に関しては、
建物は45坪以下とする。
娼妓は、1軒に着き4名以内とする。
部屋数は、4部屋以内とする。
直接に娼妓が眼に触れぬよう、店前を板塀で囲いをする。
また、娼妓については、
年齢は、18歳以上であること。
娼妓は、軒下から道路に出てはいけない。
娼妓の芸名、本籍、氏名、年齢、親の承諾書を添えて警察署に登録する。
などの規制を与え厳しく対応した。
男客が娼妓の相手になって、遊興飲食し、または性交する料金を、この社会では玉代という。大正12年当時の銘酒屋の玉代は、遊び50銭、時間1円、泊り2~3円が相場であった。
米一升が40銭の時代である。白米の比重を1.6、平成20年現在の白米標準小売価格を500円/Kとすると、米換算では泊り4~6千円、また、小学校教師の初任給が12~20円との記録から換算すると泊まりは2~3万円に相当する。
家族の生計の犠牲者である娼妓の殆どは、5年で金200円の年期奉公という制度の下、身を売られ、玉代の6割を銘酒屋に搾取される。
玉代の4割が娼妓の手に入るが、この収入は日常生活に必要な着物・化粧品・食費・さらに借金の返済に充てられる状況で、病気になどなれば借金が膨らみ年期奉公期間が長くなるだけの悲惨な生活を強いられた。
一方、地域住民の反応は、点在していた銘酒屋がまとまった事から、風紀問題や風俗犯罪に対して重点的に警察の取締りが行われることや、往来路の通行頻繁になることから町の発展につながるなどの理由で、一般的に良好だったと言う。
この社会には淋病・梅毒など性病がつきものであるが、私娼制度下の安浦町らの銘酒屋の経営者および娼妓達は性病防止のために前向きに取り組み、大正12年10月に安浦診療所を開設した。
娼妓の検診は、必ず組合役員と警察官(明治7年12月公布娼妓健康診断規則)が立会い、毎週1回強制的に行われた。
検診医は組合に依頼された町医者で、木製のベッドの上で娼妓の股を開き検視器を使い陰部を開き綿棒を挿入して性病菌の有無を検鏡する方法が採られた。
検診の結果性病感染が明らかになると直ちに強制入院となり、娼妓はもちろん経営者も収入がなくなるので、毎朝自己流で検診する娼妓も少なくなかったという。
昭和5年、安浦町2丁目に横須賀公郷(くごー)駅が開設された。湘南電鉄の路線駅だ。
横須賀公郷駅の南側は山が迫り、北に開く駅舎の改札口前を戸塚から浦賀を結ぶ浦賀道が線路にほぼ平行して走っている。
浦賀道の向こうは明治の時代は海だった。
なにもないといっていいだろう駅前のかつての浦賀道を東に下る。所々にこの地先の埋立工事初期の石積みが残っているという。どうめき坂を過ぎ更に歩くと右手に入る路地があった。車が入れる巾ではない。
行く手を見ると一段上がったところに踏切がある。赤い電車が通過する度にカンカンがなり遮断機が下がるりっぱな歩行者専用踏み切りで通学路の表示もあった。
踏み切りの向こう、いきなりな崖に細い階段道が山の上に消えていく。九十九折を200段上った階段際のU字溝に焚き火の煙が上がっていた。行き止まりに2階建ての廃屋。鬱蒼とした森の木立に覆われ、日も注がない廃屋の庭で落ち葉を集める老人がいた。
真っ赤なジャージのズボンを履いたその老人が、崖下に広がる広大な埋立地変遷の総てを知る、仙人に私は思えた。つづく
2008/11/07 升
参考資料
石井昭 幕末から戦後まで ふるさと横須賀下 神奈川新聞社
横須賀市 横須賀市の町名1989
皆留間幸蔵 横須賀市警察署史(創立100年記念)昭和52発行
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