電気ブラン
日はあるものの冷たい風が吹き抜けている浅草町家の路地裏を早足で通り抜けた。
大川端に出ると風が止み、正月の二日と思えぬほどの西日が水面に反射して眩しい。
吾妻橋で大川を渡り、東詰広小路にある樽の様な建物で、生ビールをやる。僅かに汗ばんだ体には心地よかった。
帰路の途中、銀座線浅草駅改札脇にあやしげな飲食店街に迷い込む。入り口の無いラーメン屋など総てが屋台風。
タイ飯屋MONTEE (モンティー))に入った。
ココー・ムー・ヤーン・ナムトック(豚首肉焼き香辛料和え)890円、パッ・ブン・ファイデン(空芯菜炒め)890円等三菜と、シンハービールを注文。
ウエイトレスが片言の日本語で「氷がいるか?」と聞いた。「ビールが冷えているならいらない」と答えると、瓶ビールが2本運ばれてきてラッパ飲みらしい。
後から席についた常連らしい客には同じビールだがグラスが付いていた。どうやら、「コオリ」とはコップの事だったらしい。ウエイトレスは中国系タイ人と見た。
料理人もタイ出身とのことだ。
我々は無国籍様風体だったのだが日本人と看破され、配慮されたのか、殆どのタイ料理に添えられる香菜は使われていなかった。
大いに不満だったが味は本格的、30余年前に一月滞在したバンコクの思い出話を、同伴の友人相手に尽きない。
浅草線に乗らんと外に出ると、神谷バーの店頭で電気ブランの小瓶を見つけ、購入。
道端に灰皿を見つけその後ろにあるガードレールに腰掛けての3次会。携帯であちこちの旧友に電話をかける。
路行く人々は、路上で煙草をふかし電気ブランをラッパする頭の薄い不精髭ぼうぼうの初老の男を、不景気の象徴として受け止めていた筈だ。
この奇妙なる酒が誕生したのは明治15年。
この翌年、おりしも私の誕生日と同じ11月二十日、千駄ヶ谷の徳川宗家で暮らしていた天璋院篤姫さまが亡くなっている。
篤姫さまが電気ブランを試したとの史実は窺えないが、吉原視察の折に、同伴した勝安房が「おいらの姉御じゃ!」と言いながら、天璋院どのと伴に「神谷バー」のラウンジで、あやしい琥珀色の液体で杯を交わしていたと想うのも愉快だ。

明治維新の混乱期から急速に立ち上がった日本の第一次高度成長期に燦然と輝いた「電気ブラン」。
今年はいい年になるやも知れん。
2009/01/05 升
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コメント
いなせな えんこで 〆はデンキブランとは


ハイカラな電気に照らされて、開花の音を聞きそうな
面白い年になりますように
投稿: おとしたま | 2009/01/11 10:05