ライン際
40歳にして現役をいまだにはっている松田と云う選手がいる。
身長180cm体重90kと公示の巨漢なのだが、さらなるごつい男達が猛り集まっているラグビーグランドで見かけると、幾ばくか華奢な印象を得る男である。
ゴジラ松井に何処となく似ている。
キャップ42を誇る彼のポジションはフルバックだ。
東芝ブレイブ・ルーパス (元東芝府中)チームに在籍しながら、日本代表選手として背番号15を背負い過去42の国際ゲームに出場している。
彼は学生時代、スクラムを組むフォワードの最後尾である№8ポジションからフルバックにコンバートされた選手なのだが、社会人となった彼の戦い方にもはや、ガチンコ勝負が要求されるフォワードプレイヤーの片鱗すら見受けられなかった。
それゆえに、№8経験者でもある一老ラグビーファンの私にとって、彼の年齢的全盛期に現すグランド上のパフォーマンスに一抹の「軟弱さ」を感じていたのだが。
その松田選手がいまだに正月のグランドに立っている姿を見ると、昔のチームメイトに遭った様にただなつかしい。
日本代表監督経験のある故宿沢氏が亡くなる数年前にとある日本選手権ゲームのテレビ中継で解説者としてマイクの前に座っていたことがある。
東芝府中の対戦相手およびゲームの結果などその総てが私の記憶から失われているがその時、
「あれが日本代表のフルバックの追い方です、安心して見てられますねぇ」
との宿沢さんの解説があった。
そのコメントの対象を再現すると、
センターライン中央付近で東芝側のディフェンスラインを一人の選手が突破した。
崩れ去ったディフェンスラインの後方にはフルバックただ一人。松田である。
彼はブラインドサイドから、背番号をメインスタンド側に向けて、バックスタンド側に逃げるボールを抱えた相手選手を悠然と追う。
決して正面に出ようとせず、常に斜め前方に位置して逃げる相手を着実にタッチライン極へ追い込んでいく。
彼の着地目標地点はオープンサイドゴールライン1m手前である。
それ以前の場所で相手が内側に切れ込んでくるならば倒せばよい。
一対一の攻防のこの時の松田は、タッチラインを唯一の味方として、ゴールライン寸前で相手選手を力技なくタッチラインへ押し出した。
血の気の多い選手ならば強引に倒さんとして絡みに行き、ステップを切られたりハンドオフ(ラグビーではボールを持った選手がタックラーに対し張り手で殴り倒すことが許されている)を喰らったりで、逃げられてしまうパターンも多いのである。
全くの余談であるが、昔全国高校ラグビー東京都予選準決勝戦で青山高校と対戦した私は№8を担っていた。
敵陣25ヤード付近のマイボールスクラムからブレイクした私は、バックスのアタックライン後方を舐めるようにフォローしながら、秩父宮競技場のメインスタンドの方向に横に走っていた。
突然、目の前に青山のセンターがボールを抱え出現し、しかも、その外側に右ウィングがしっかりとついている。
私の後ろに常にいる筈の我がフルバック岩崎の姿が見えなかったのは、フルバックイン(サインプレー)のボールをインターセプトされたからに違いなかった。
得点差は5点。
後半戦も残り5分を切っており、トライ後のゴールが決められてしまうと逆転さよなら負けとなる。
さて、一対二の攻防である。相手センターを倒してもウィングにパスされればトライは必至であり、両方倒すとなれば飛び道具でもない限り不可能なことだ。
この場合「ボールを殺す」タックルをすべきなのであろうが横に流れて行く相手を瞬時に仕留めるのは困難だし、下手にボールに飛び付いて行けばハンドオフを喰らう恐れがある。
どうするべぇ?と10メートル程追うとタッチラインの向こう側はメインスタンド正面の場所。
鬼コーチはじめ多くOBや両親それに彼女の目の前だった。
「ハンドオフを喰らったら後で何を言われるか知れたものではないわな」を刹那に判断した私は、相手センターの左太股の裏側に左耳から飛び込み左腕をつま先に絡めて引きずられながら倒した。
が、起き上がると案の定フォローしていた右ウイングが右隅にトライを遂げていた。
ゴールはならず辛うじてこのゲーム逃げ切ったものだ。
今、雑踏を歩く。
雑踏ほど嫌なものはないと私は思っている。
駅のコンコースの雑踏はとびきり最悪である。
真っ直ぐに歩くと云う人間本来の持つ欲求を満たす事がまず適わない。
自分以外の人々は、ラグビー用語で言う「トイメン」、すなわち「敵選手」だ。
前、斜め左、斜め右、左、右ばかりではなく、背後から襲ってくる輩もいる。
しかも、そのそれぞれのスピードが全く異なっているのだ。
一対一の戦いであると思っていると大間違いで、正面の敵を右にかわすとあろうことかその後ろにいた輩に左からやられる。
盲目に人の後ろに従って歩けばそ奴が唐突に立ち止まったりもする。
このような個人戦の場合はまだましで、河の如く群衆が幅を持って一定方向に移動する流れに巻き込まれようものなら、肉弾戦を展開しない限り脱出は不可能だ。
そして、その切り抜け方を「スポーツ・ルールで守られた」一つの技術としてこの身に叩きこまれている私にとって、「法律」によりその技を封印せざるを得ない状況に極めて甚大な精神的ストレスを被ってしまう。
石原新太郎の著書にあるように、雑踏を駆け抜ける事を「練習」と位置付けていた若い時期もあったのだが、この年齢に至っては最早どうにもこの雑踏を受け入れることは出来ない。
雑踏は下記強制分類される。
① 同一目的雑踏
② 多目的雑踏
前者は「銀座ぶら」型と云ってよく、一見漠然とした集団ではあるが、相対する人の行動あるいは方向がある程度「読める」。
後者が甚だ具合の悪い存在でこれを「コンコース」型と名付ける。
集団を構成する一人々々がそれぞれ全く異なる「意識」を持ってブラウン運動を展開している場合である。
この「コンコース」型の渦の中に於いては最早相手の行動を予測することなど不可能であって、我を張って直進すれば衝突事故は必至である。
道路交通法然り、航空管制法然り、船舶航行法然り、皆ルールが定められており、定められているからこそ「衝突」が回避されるのである。
これほど文化の開明が進んだ現代社会において、いまだに「雑沓」という原始的かつ社会的未開拓な無法地帯が放認されていること事態、不可思議なことと云ってよいだろう。
次次発電車に乗る為の並び順までを制覇した今、さらなる文化人類学的明瞭な打開策を期待したいものである。
一方、「コンコース」型雑沓の中を悠々と真っ直ぐに歩く方法を既に私は習得している。
ライン際(壁際)を歩くことである。
位置的に「トイメン」の出現は前後に限られ、左右からの攻撃はありえなくなる。
正面からのアタッカーには忍者の様に壁に張り付くことによりアタッカー側から自ずと衝突を回避してくれる。
こんなことを公開してしまうと、何れ「壁際」でのにらみ合いがあちら事らで見かけることになろうが、ジャンケンでもしてその場の勝負を決めてもらえばいいだろう。
もちろん、壁際の手摺を必要とする人達には道を譲らなくてはいけない。
東芝ブレイブ・ルーパスは準決勝で敗退したが、また来年も松田選手のなつかしい顔を見たいものである。
画像は誠に勝手ながら「サンスポ」HPから拝借致しました。
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