増上寺|崇源院|建長寺 ③
江が見られなかった建造物
消えた霊牌所
崇源院三回忌に当たる寛永5年(1628)9月10日までに崇源院墓塔に付帯する霊牌所が完成していた⑴と記録にある。
その5年前(1623)に将軍は3代家光に代わっているが、2代秀忠は父・家康同様隠居後も「大御所」様として西の丸で実権を握り続けたらしいので、崇源院霊牌所の建設は2代秀忠の作品と考えるのが自然だ。
だが、その場所が墓塔前すなわち増上寺本堂の北側なのか南側だったのか定かではない。
もっとも慶長3年(1598)に芝に移転してきたばかりの広大な原野を抱えた増上寺としては、初めての将軍家霊廟建設であるので、その場所の確保に何ら困ることはなかった筈だ。
また、崇源院没(1626)後増上寺北廟に新たに大規模な墳墓が建設されるのは桂昌院(3代家光側室5代綱吉の生母1705没79歳)時で、実に79年の間崇源院墳墓前はさら地であったはずで(実際には僧侶の寮が建ち並んでいたらしい)、創建崇源院霊牌所が北廟の巨大宝篋印塔前に作られていたとしても不思議ではない。
昭和20年の空襲で焼失される前の崇源院霊牌所は増上寺本堂南側に位置した台德院御霊屋の北隣にあって、その写真は数多く残っている。
興味深いのはこの崇源院霊牌所も墓塔と同様に建替えられていることにある。
台德院霊廟や日光東照宮の建物に於いて見られるように、本殿と拝殿の建物の間を回廊(石の間)で繋ぎ一体化した、「権現造り」と呼ばれる豪奢な様相を持っていた。
ところが、寛永11年(1634)から同12年(1635)6月2日までの期間に、松平伊豆守信綱(知恵伊豆)が家光の為に、作らせた⑵・⑹とされる「江戸図屏風」(国立歴史民族博物館所蔵)に台德院霊廟の北隣に権現造ではない単棟の霊牌所の姿が鮮やかに描かれている。
画像2 江戸図屛風内の崇源院霊牌所
画像中央が権現造りの台德院の御霊屋。
その右隣りの丁子門(狭山山不動寺に移築現存)で繋がれた敷地が、2代秀忠生存時に建てられた、最初の崇源院霊牌所だ。
その一番奥(画像右上)の単棟の建物こそ、正保4年(1647)に家光の手により分解された創建崇源院霊牌所本殿であり、同時に建長寺に譲渡・移築された「仏殿」なのだ。
画像3 建長寺仏殿裏側(筆者撮影)
移築を学術的に証された関口氏によると、この建物には床を巡らした痕跡が柱にあることから、移築時に床を撤去して土間床としたらしい⑴。
3代将軍家光は忙しかった。
寛永元年の上野寛永寺創建をかわきりに、寛永9年(1632)1月24日に2代将軍秀忠没を受けその墓所台德院(たいとくいん)霊廟を大規模かつ豪奢な姿で翌年の一周忌までに、増上寺本堂南側に完成させた⑶。
更に、寛永13年(1636)祖父である家康(東照大権現)の霊廟日光東照宮の大掛かりな建替えを行い、正保4年(1647)実母である崇源院霊牌所をも建替えているのだ⑴。
日光東照宮の建替えの理由に2説ある。
一つは伊勢神宮に見られる式年遷宮を真似した⑷といわれており、その時期は創期建物建設(1617)後20年を経た時に重なっている。
今一つの訳は遺恨説である。
家光の乳母「春日の局」の寓話として有名だが、家光には2歳年下で忠長と呼ばれる弟がいた。
何れも秀忠・お江夫婦の実子なのだが何故か幼少の頃より父母は忠長ばかりを溺愛し家光を無視し続け、これを苦に家光は自殺を企てた事さえあるという。
この家光の意趣返しがすなわち父秀忠の残した物(建物)の全面否定⇒造替の本音で、前述の式年遷宮論は単なる建前であると云うものだ。
増上寺に関して、田邊泰氏は「崇源院霊牌所私考」(建築学会論文集第一号、昭和11年)の中で
<正保4年崇源院霊牌所再建の理由は、家光と弟忠長との確執による感情に基くもので、寛永5年の最初の造営が、忠長によるものだった為家光は快しとせず、台德院霊廟建設後、崇源院霊牌所を再建>
したとしている⑸。
一方、創建(1628)から建替え(1647)まで丁度20年の隔たりであるが故に、日光東照宮同様に崇源院霊牌所を再建の理由を、式年遷宮に充当させることも可能になる。
しかし、その後唯の一度もどちらの建物も建替えられていないことから式年遷宮説の説得力は甚だあやしいものになる。
さらに一時は55万石の大名となった弟忠長が不行跡を理由に改易され、秀忠亡き後直ちに28歳の若さで自刃処分を受けた事から見ても、家光遺恨説の方がむしろ面白い。
3代家光に見せたいが為に描かれたといわれる先の「江戸図屏風」には江戸城内の忠長(駿河大納言)の守屋敷を描いた部分がある。
画像4 江戸図屛風内忠長(駿河大納言)の守屋敷
豪華な御屋敷の門前には屋敷内に入らんとするたくさんの家来を従えた武士の姿や、覗きこむ町人の人だかりが出来、さらに猿を連れている人物を二人も書きいれている。
黒田日出男氏によれば、駿府の寺院で神獣とされている猿を作物が荒らされたとの理由で狩り獲ったことが不行跡の一つと言われていることから、改易沙汰直後の屋敷の様子をもじったものとしている⑹。
一方、鎌倉建長寺にある方丈前及び西来庵に現存する二つの唐門も、仏殿移築と同時に創建崇源院霊牌所から、譲り受けられたものであると関口欣也氏は明らかにしている⑴。
画像5 明治34年発行の俯瞰図「大日本芝三縁山増上寺境内全図」(右下方が北)
画像5を見ると、台徳院霊廟の建物の配置は東側に先ず惣門があり、参道を西へ進むと勅額門がある。
勅額門を入って右方には丁子門があり、北隣の崇源院霊牌所との間の仕切門となっていた。
勅額門をくぐってさらに参道を進むと、左右に1棟ずつの水盤舎があり、正面が中門(唐門)である。
中門の向こうが本殿・相之間・拝殿が一体となった権現造の御霊屋で、中門の左右から延びる塀で囲まれている。
すなわち、「江戸図屏風」に描かれている配置および建物の形状と全く一致する。
だが、その隣の崇源院霊牌所本殿前に見える門は、建長寺にある方丈前の「向う唐門」の姿と全く異なりむしろ屋根の形状から、西来庵に現存する「平唐門」
(西来庵は現役僧侶の修行場であるため一般人の立ち入りが拒まれており現在拝むことは出来ない)によく似ている。
関口欣也氏の説は建長寺・増上寺・徳川家等に残る様々な古文書の比較検討がなされており疑う必要もないものであろうから、建長寺の二つの門の出身がいずれも増上寺初代崇源院霊牌所である。
画像6 建長寺方丈(龍王殿)の正門(向う唐門)
そして「江戸図屏風」に描かれている通りに本殿前の「平唐門」が現在の西来庵の門であると仮定した場合、方丈前の「向う唐門」は増上寺のいったい何処にあったのかと云う疑問が発生する。
寛永10年の台德院霊廟建設時に分解撤去された物がどこかで当てもなくただ保管されており、14年後の正保4年になって蔵から出され、本殿・「平唐門」と共に鎌倉へ下げわたされたのかも知れない。
だが、北廟の中央に凛としてそびえたつ、台石幅2.555m・高さ5.15mの、崇源院の遺骨が収まった巨大宝篋印塔を囲む塀の正面ゲートだったと仮定するのは乱暴だろうか。
正保4年、その宝篋印塔をばらばらにして地中深く埋め、同時に燦々と輝き続ける「向う唐門」をも取り除いてしまった人物はいったい誰であろう?
建長寺方丈前の唐門は一年半の修繕期間を経て、2011年5月30日、380余年前の荘厳な輝きを今取り戻している。
修繕前の画像と比較すると同じ建物とは思えない。
仏殿の修復・復興に於いても今後期待したいところだ。
たが、それらを建設時同様に如何に輝かしたとせよ、生前の「小柄ながら甚だ華奢な体つきをもった魅力ある美人⑺」、お江の眼に、身体に、触れたことは唯の一度も無かったのだ。
2014/3/21 升
参考文献
⑴ 『神奈川縣文化財図鑑 建造物篇』神奈川県教育委員会 昭和46年
⑵ 黒田日出男『江戸図屏風の謎を解く』角川選書 平成22年
⑶ 伊坂道子編『増上寺旧境内地区歴史的建造物等調査報告書』境内研究事務局 平成13年
⑷ 浦井正明『もうひとつの徳川物語-将軍家霊廟の謎-』誠文堂新光社 昭和58年
⑸ 港区立港郷土資料館『増上寺徳川家霊廟』 平成21年
⑹ 黒田日出男『王の身体王の肖像』イメージ・リーディング叢書 平凡社 1993年
⑺ 鈴木尚『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』東京大学出版会 昭和60年
⑼ 伊坂道子『芝増上寺境内地の歴史的景観-その建築と都市的空間-』近世史研究叢書36 2013
⑽ 小沢弘,丸山伸彦『図説・江戸図屏風をよむ』 河出書房新社 1993
⑾ 水藤真『江戸図屏風を読む』 東京堂出版 2000.04
画像1 最新東京名所写真帖 東京 小島又市 明42年
画像2 国立歴史民族博物館HP内webギャラリー
画像4 国立歴史民族博物館HP内webギャラリー
画像3・6・7・8は筆者撮影
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投稿: 小森七郎 | 2024/03/16 05:59
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投稿: 建長寺 | 2024/03/16 05:59