マラソン人が折り返す町② 最後の横浜国際女子マラソン
八幡橋から聖天橋
横浜山下公園をスタートする横浜国際女子マラソンは、本牧市民公園⇒八幡橋 ⇒第1折り返し聖天橋交差点⇒八幡橋⇒本牧市民公園⇒山下公園前⇒第2折り返し本牧市民プール前⇒山下公園前⇒みなとみらい21地区1周⇒山下公園内フィニッシュがそのコースの全容だ。
八幡橋を過ぎると前方の小高い丘の上に気品あふれる和風建築がかつて見られたらしい。
1937年(昭和12年)、昭和天皇の義弟にあたる東伏見邦英伯爵が建てられた別邸で、鉄筋コンクリート造り、地上3階・地下1階の建物だ。当時27歳の伯爵は磯子の丘を愛し、ここでの日々を謳歌されたという。
終戦後は進駐軍に接収されていたが、1954年に西武グループに敷地・建物を買い取られ、「横浜プリンス会館」として宴会場・レストランとして使いされ始めた。
余談だがこの丘の中腹に、敷地900坪・建坪106坪・部屋数15・プール付き、大豪邸「ヒバリ御殿」が建てられたのはほぼ同時期のことだ。
1960年に横浜プリンスホテルが当該地に開業し、1990年には客室441室、宴会場32室の大規模ホテルとして生まれ変わる。
以降別邸は、ホテルの高層客室に囲まれ海側から眺めることは出来なくなったが、予約制の宴会場「貴賓館」として活用され続けた。
1993年に横浜市の歴史的建造物に認定されたが、2006年、同ホテルの営業終了とともに閉館した。
ホテル本体の取り壊しは翌年から始められたが、岡の上の工事現場は常に足場や養生シートで覆われていた。
横浜国際女子マラソンを走った選手の眼に、貴賓館はおろか白亜のホテルすら、とまったことは残念ながらありえない。
現在、ホテルの跡地は全12棟1,230戸の大規模マンションに置き換えられている。
貴賓館はホテル跡地活用プロジェクトの一環として改装が進められ、和食レストラン「中村孝明 貴賓館」として、2014年2月28日のマンション竣工と同時に開業を迎えている。
丘の下を通過すると穏やかな海辺が広がる屏風ケ浦の海岸線が続く。
2014/11/12 升
参考文献
「杉田の歴史 故郷賛歌 第三集」 相原一郎 平成18年発行
「移りゆく横浜の海辺 -海とともに暮らしていた頃-」横浜市歴史博物館 1999年発行
「浜・海・道 あの頃、そして今…磯子は」磯子区役所 昭和63年発行
「浜・海・道 Ⅱ 昭和30年頃の磯子」磯子区役所 平成5年発行
「磯子の史話」磯子区制50周年記念事業委員会「磯子の史話」出版部会 昭和53年発行
「磯子まちあるきガイド」磯子区役所 平成19年発行
横浜経済新聞hp
| 固定リンク | 0
「歴史の話」カテゴリの記事
- 東行庵主(2025.07.10)
- 蓮台寺の温泉(2025.04.07)
- 密航船水安丸乗船者を追って⑯(2024.03.17)
- 密航船水安丸乗船者を追って⑭(2024.02.26)
- 密航船水安丸乗船者を追って⑬(2024.02.11)
「横浜時代」カテゴリの記事
- 黒曜石の島(2025.03.07)
- 知床で夢を買った話(2024.07.16)
- あさひが照らす落石の岬(2024.06.28)
- 赤魚粕(2024.06.09)
- ジンタンガラスの冷奴Ⅱ(2024.05.03)



コメント