マラソン人が折り返す町① 最後の横浜国際女子マラソン
八幡橋
横浜山下公園をスタートする横浜国際女子マラソンは、本牧市民公園⇒八幡橋 ⇒第1折り返し聖天橋交差点⇒八幡橋⇒本牧市民公園⇒山下公園前⇒第2折り返し本牧市民プール前⇒山下公園前⇒みなとみらい21地区1周⇒山下公園内フィニッシュがそのコースの全容で、八幡橋(やはたばし)と聖天橋(しょうてんばし)という二つの橋が登場する。
山下公園を後にしたランナーは本牧市民公園を右手に疾走する。
左手はエネオスなどの石油コンビナート群がひしめいているのだがかつてはもちろん本牧の海岸線だったとろころだ。
千鳥町・鳳町と名付けられた埋立地を走り、選手は八幡橋を渡り国道16号へ出る。
八幡橋は明治時代に設備された掘割川と云う3kmたらずの運河の河口に架けられた橋である。
現在の伊勢佐木町界隈の位置する大岡川と中村川に囲まれた吊り鐘型の地域(吉田新田)は、その昔、海だった。
掘割川は、吉田新田埋め立て用土の確保と根岸湾と中村川を繋ぐ水上輸送路の確保及び運河周辺地域の開発のために掘られ、横浜の発展を影で支えた重要な運河と言える。
終戦前の時代にはこの橋の海側の鳳町に、遥か南太平洋の島々を結び商用飛行をしていた飛行艇の基地があった事はあまり知られていない。現在、JR根岸駅の近くに下記案内板がたてられているだけで、当時を偲ぶ物はなにもない。
『昭和15年(1940)この埋立地に大日本航空株式会社により日本発の飛行艇専用民間飛行場がつくられました。
南洋諸島パラオ島への定期航空路が開設されたのです。
川西航空機製の97式という大型飛行艇が15年3月6日に根岸湾からサイパン経由パラオに向け飛び立ちました。
発動機4基、翼長40メートル、「綾波」「磯波」「黒潮」「白雲」など海や空にちなんだ愛称の優美な巨人機で、サイパンまで10時間、パラオまではさらに7時間かかりました。
客席は18あり運賃はサイパンまで235円で東京・大阪間の7倍でした。
戦時中は人員と機材すべてが海軍に徴用され南方の島々との連絡や人員・物資の輸送の任務にあたりました。
昭和17年には世界最優秀機の名も高い2式大艇が登場しましたが、全備重量24.5トンの日本最大の新鋭機で乗員以外に26~64人も収容でき、離着水時には家々の屋根をかすめて轟音を響かせました。
2式大艇の最終飛行は同じ年11月にアメリカへ試験機として引き渡すため香川県の詫間基地からここに飛来したのが最後です。
根岸には、飛行艇の乗員や空港関係者が大勢下宿し、子供たちに南方の珍しい果物の味を運んでくれました。
鳳町の名は巨大な翼にちなみ未来に羽ばたくようにという意味でつけられたそうです。』

八幡橋にほど近い滝頭2丁目には美空ひばりの生家がある。
2014/11/08 升
参考文献
「杉田の歴史 故郷賛歌 第三集」 相原一郎 平成18年発行
「移りゆく横浜の海辺 -海とともに暮らしていた頃-」横浜市歴史博物館 1999年発行
「浜・海・道 あの頃、そして今…磯子は」磯子区役所 昭和63年発行
「浜・海・道 Ⅱ 昭和30年頃の磯子」磯子区役所 平成5年発行
「磯子の史話」磯子区制50周年記念事業委員会「磯子の史話」出版部会 昭和53年発行
「磯子まちあるきガイド」磯子区役所 平成19年発行
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