密航船水安丸乗船者を追って ⑥
水安丸のこと
4.
さて、この「水安丸」や「及川甚三郎(及甚)」という単語を記憶にとどめている日本人は、宮城県は及甚の地元の方(顕彰碑が建てられている)か、私のように小説「密航船水安丸」を熟読した一部の新田次郎ファンに限られているはずである。
及川島の住民は日本軍の行ったパールハーバー事件の翌年、その他の地域の日本人と同様に、帰国あるいは強制収容所に収監され全ての建物・設備は取り壊され、現在は自然保護区となっており、すべての記憶が忘れ去られようとしていた。
然るべき状況の中、「水安丸100年祭」がフレーザー川の畔で公的に開かれた理由は一人のビクトリア大学生の来日にあった。
彼はその著作の冒頭で翻訳者ノートとして、次のように述べ、
『この話と私の関与は1991年の夏に、宮城インターンシッププログラムのインターンとして、私は多くの素晴らしい家族の中で短いホームステイで滞在した時から始まりました。
その家のお爺さんは私がどこから来たのか尋ねました。
「カナダは」と私は答えました。「ブリティッシュコロンビアです。」
「B.C?」と彼は尋ねました。
「はい、ビクトリア近く。」
「ちょっと待って」
と彼は言って奥の部屋に立っていきました。
しばらく後、彼は一冊の本を持ってきました。
驚いたことに、カバーの内側にはB.Cの地図があり、片側には日本および宮城県の地図がありました。
お爺さんは1800年代の終わりにJinsaburo及川は宮城県からB.Cに80余りの人々を密輸していると説明しました。
私はそれを読むことができるだろうかと疑ったが、彼は私にその本を提供しました。
私はアジア/太平洋学と経済学の学位を完了するためにビクトリア大学に戻ったとき、~後略』
そしてその本を翻訳した。
1998年(平成10)「傑物の移民たち」とでも訳せばいいのだろうか「Phantom Immigrants」のタイトルで、あのコロンビア大学の学生だったデビット・ザルツの訳した「密航船水安丸」が英文で出版された(こちら )。
「Phantom Immigrants」はブリティッシュ・コロンビア(B.C)州の人々に、現代の彼らにとって最も恥ずかしい、人種を差別していたころの忌まわしい歴史書として読まれた。
結果、コロンビア大学やサイモン・フレーザー大学を初め様々な研究機関が、小説には描かれていないその後に起こった第二次大戦中の敵性外人=日本人に対し行われた迫害の歴史をも含めて振り返るようになり、数々の論文を発表し始めた。
中にはドン島を考古学的に発掘調査した記録もある。
2004年(平成16)にはドン島とライオン島の地図上の正式名称をオイカワ島とサトウ(ソーエモン)島に替えるべく運動が起こるまでになった。
そうした中、2006年(平成18)、水安丸の航海から丁度100年を経過したのである。
画像
① Web:「宮城県の偉人」から拝借しました。
② 新田次郎 密航船水安丸 講談社 1979から拝借しました。
③ Nikkei TVより拝借しました。
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