密航船水安丸乗船者を追って ⑩
後藤金平のその後
『目に映った女の子が色白く、金髪を朝風になびかせて、自転車を走らせて過ぎ去る様を見て、白色人種の天女の天下りかと思うほどであった』
この有名な文節は、水安丸から夜陰に紛れて上陸後、ビクトリア市内を徘徊中の模様を記した後藤金平氏の記録「60年を回顧して」を、原文のまま新田次郎が小説の中で使用したものである。
17歳のとき水安丸でカナダに渡り、1966年(昭和41)金平氏77才の時に喜寿の思い出として綴ったという「60年を回顧して」は、実弟の後藤六郎氏が編纂して小冊子として自費出版された。
調べると、原版を蔵している図書館はなく、不鮮明な複写版が宮城県図書館の宮城資料室にただの一部保存されているだけである。
幸いなことに、元東和町教育委員会主事小野寺寛一氏がまとめた「カナダへ渡った東北の村 : 移民百年と国際交流」の中にその全文が収められており、国会図書館で閲覧可能だ。
小説「密航船水安丸」ではその航海中甚三郎に日付係として指名されているが回顧録ではそんなことには触れられていない。
以下、回顧録から後藤金平氏のその後の生涯を紹介しよう。
金平氏は入加後、後藤文治氏同様ロッキー山中の鉄道工事現場で働く。
しかし、年齢と体が小さかったこともあり外部の仕事はさせてもらえず、管理者の部屋掃除や水汲み文盲者の手紙書きなどをして可愛がられながらも、一人前の日当を得た。
アルバータ州で更に1年鉄道工事で働き、そして肉体労働から足をあらう。
その後、バンクーバーでハウスメード。
ゴールデンでレストランなどで働き、この地で英国籍に帰化。
カルガリーでホテルダイニングの給仕などをする。
第一次大戦下の大不景気でバンクーバーに戻り、同郷人の信夫三郎と知り合い、無謀にも食うために鮭漁を企て密漁で捕まる。
妻帯者であることを理由にカナダ政府の徴兵から逃れるため、戸籍謄本を偽造して送るよう父親に打診したところ、本当に嫁を迎えることになり、1918年(大正7)11月12年ぶりに初めての帰国をする。30才の時だった。
相手は10才年下の田舎娘たけきで、断り切れず結婚し、共にカナダへ再び戻り生活を始める。
中古のホテルを買い取って下宿屋や雑貨屋を妻と共に経営したりしたが、妻の相次ぐ出産などで人に譲り、1928年(昭和3)保険業界に身を投じる。前述の信夫三郎の紹介だった。
当時日本人の保険販売人は金平氏ただの一人であったため日系カナダ人の顧客を独占し一躍№1に躍り出た。
太平洋戦争時には他の日系人同様西海岸から400km.以上離れた山奥に押し込められるなど苦労を重ねたが最後まで保険業で身を立て成功を収めた。
金平氏は1958年(昭和53)3月にその生涯を閉じているが、折しも同じ年の7月に山形孝夫が11月に新田次郎がそれぞれ水安丸関係の資料調査のためカナダを訪れている。
かれがその時生存していたのならより興味深い小説が仕上がっていたのかも知れない。
新田次郎がハミルトンの金平氏のご遺族宅を訪れた際お別れに高額の餞別を受けたことが取材記に書かれている。
新田が慌てて受け取れぬ由の電話を入れると「これが我が家の習慣だからどうか受け取ってください」とたけき未亡人に言われたとある。
「60年を回顧して」を読み返すと後藤家の「選別」の意味が分かる。
金平氏は、水安丸から降りたとき同郷の先達岩淵安右衛門から、初めての帰国の際賃金未払いのまま夜逃げを決め込んでいた元雇い主から、たけきを連れてカナダに戻る際横浜で衣装代と船賃に持ち金すべてを使い切ってバンクーバーに着いた時友人達から、それぞれ餞別を貰った時の感慨を述べている。
後藤金平ファミリーの「習慣」の出発点だったのかも知れない。
2017 1/4 升
引用文献
後藤金平 60年を回顧して 1990 宮城県図書館蔵
小野寺寛一 編 カナダへ渡った東北の村 : 移民百年と国際交流耕風社1996 p266~281
新田次郎 密航船水安丸 講談社 1979
画像
外務省外交史料館蔵「本邦人海外密航関係雑件」より
公第八十五号(21027)水安丸船長 錦織森太郎「本邦帆船水安丸密航者輸送ノ件」添付「水安丸乗客明細表」より筆者撮影
Ito,Roy(1994) Stories of my people. A Japanese Canadian Jaurnal. S-zo and Nisei Veterans
Association,Hamilton 5.The 1906 Voyage of TheSUIAN MAU Gjnzaburou Oikawa Kimpei Goto
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コメント
六郎さまのお孫様
頂いたアドレスに質問メールを送りました。
ご笑読の上、ご回答いただければ幸いです。
投稿: noboru | 2017/01/18 11:39
ご返信いただきありがとうございます。
水安丸について知っている者ももういないかもしれないので、お力になれるか分かりませんが・・・
なにかあれば、カナダのファミリーに連絡することもできますので、よろしければご連絡ください!
投稿: 孫 | 2017/01/17 10:00
驚きました。
まさかご親族からコメントを頂くとは!
内容に失礼な部分や誤りがあればお叱りください。
あと一組の「その後」を調べているところですが、
窺いたいことがあります。
プライバシーに関わることなので、メールを使用したく、
からメールを頂ければ幸いです。
投稿: noboru | 2017/01/13 06:03
こんにちは、後藤六郎の孫です。
何気なくたまたま祖父の名前を検索したら、最近かかれたブログに名前が載っていて驚きました。
後藤ファミリーは今でも結束が固く、カナダのファミリーともいまでも連絡を取っております。日本語はあまり、話せない世代になってしまいましたが・・・
投稿: | 2017/01/12 10:52