グチの煮付
大三島町宗方の塩田跡地を養殖池に改造するという設計の段階から藤永クルマエビ研究所の指導を受け、四国興産㈱の1号池と2号池が、業界初の画期的エビ養殖池として仕上がったのは1973年のこと。
すなわち、粘土底18,000㎡×2面の池全面に分厚いビニールシートを貼り、その上にエアレーション用の塩ビパイプを10メートル間隔で置き、それらの押さえとして鉄筋を縦横無尽に張り巡らせ鉄杭で固定、さらに池中央に総面積の1/3にあたる砂場の区画を設けたものだ。
この設計のメリットは、酸欠事故防止、砂場の汚染が軽減される他、エビの潜砂域が特定され収穫作業が容易になる事が考えられた。
しかし、実用に供するとデメリットの方が大きかった。
まず、投下した飼料がシートの合わせ目に入り込み腐敗する、収穫作業時に網を入れるとシートの押さえの鉄筋に引っかかる、池干し時に池底が泥濘し車両が入れない、シートにフジツボの付着が甚だしい、鉄筋の跳ね出しが多く作業船の往来に障害がある、等など多様なもの。
さらに、彼の研究所は初年度の生産後、90m×200m×2面を覆っていたシート全てを取り外し手洗いさせた後再敷設を命じたという。
藤永クルマエビ研究所との契約は2年で終了し、以降、残された養殖場長以下のスタッフは、池底にある砂以外の物の撤去に幾年もの間腐心を余儀なくされた。
私がこの養殖場に緑色のカローラでたどり着いたのはこの頃(1977年)で、既に1・2号池は全面に砂が敷き詰められ、更に3号池と5号池の増設を終え、総飼育面積は90,000㎡となっていた。
当時、私は敷地内にあったプレハブの建物に寝泊まりしていた。
この建物は、創業当初藤永クルマエビ研究所からの技術指導員伊藤さんがご家族で生活されていた物と聞いていた。
もちろんお会いしたことはなかったが、養殖技術のみならず養殖池そのものを作る土木技術さえも有するレジェンドであるとあちこちで耳にしていた人物である。
養殖場のスタッフは場長以外全て通勤徒歩圏内の人ばかりで、トラさん、照兄(てるニイ)、賢兄(けんニイ)、昭ヤン、私の男組。鉾姉(ほこネエ)、立枝姉(たちえネエ)、淑子姉(よしこネエ)の女性組。
エビが池にいる限り、場長も含め交代で事務所付帯の畳部屋で、泊まり込みの宿直をする。
私は、近くの食料品店兼旅館に朝食を取りに通い、昼・晩は弁当を作って貰っていた。
宿直部屋と私の寝床はお隣同然なので、その日の当番の人と晩の弁当を共にしながら、私だけは晩酌もする。
必然的に会話がはずみ、ほとんどのスタッフと打ち解けて、いつの間にか地の方言を自在に使うに至っていた。
場長は今治の人で、毎朝愛媛汽船の今治始発フェリーに軽トラックで乗り込み、1時間をかけてやってくる。荷台には、場長の実兄で四国興産㈱の社長が経営する今治の水産卸会社(森松水産)が、その日に仕入れたエビの餌が積まれている。
帰り車には、梱包された全国の市場向けの活きクルマエビの製品が積まれ、場長が午後の早い便で宗方港から車だけフェリーに乗せて今治に運ぶ。
場長は宗方港の桟橋に置いてある原付で養殖場に戻り、今治港での軽トラックの受け取りは社長が出向き、日通航空今治営業所に製品を持ち込む流れである。
そして、場長は17時の終業と共に再び宗方港に走り、原付を乗り捨て、フェリーで帰宅すると云う日課で、日々回っていた。
当時は配合飼料が出回り始めた頃で、製品自体の信頼度も薄く、生エサに比べて高価なものだった。
クルマエビにとってベストの飼料はアサリとされていたが価格高騰の為、代替としてムラサキイガイが用いられていた。この貝は広島湾の牡蠣養殖筏に勝手にとりつき、牡蠣にとっては飼料であるプランクトンおよび溶存酸素採取の競合相手となり、業者にとってはその駆除が悩みの種である。
そのイガイを大型ダンプで日々運搬し、クラッシャー機で外殻を潰して飼料に供していた。
このイガイが20円/kg。
殻を外した肉量はおよそ15%なので実際の飼料としての単価は133円/kg相当になる。
この他の主な餌は徳島エビと呼ばれる冷凍の小エビで80円/kg。
つまり、肉量換算で100円/kg以下であれば、雑魚・雑イカ・雑エビ、なんでもがエビの餌に値して多少の鮮度落ちは厭わない。
場長が朝軽トラックに積んでくるのはその類の雑物で、朝の競りで売れ残ったような魚介を見合った単価で、社長が買い集めたもの。
大半は鮮度の遅れた異臭の放つものだったが、時にはまだ脚が動いているシャコがトロ箱いっぱいに収まったものや、小さいが刺身で行けそうな魚が混じっている。
そんな魚が場長が泊まりの日の晩飯のおかずになる。
聞けば、彼と社長の兄貴はこの仕事の前は自前の漁船をもって、そろって漁師をしていたと言い、船上での飯炊きは生れた時から身に付いているとのこと。
その日の「餌」はトロ箱10杯程のグチ(イシモチ)の山。
2~3匹を外し残りをグチャッと潰して池に放り込む。
終業後、一風呂浴びた場長が鍋に酒と醤油と砂糖を入れて火にかけ、下ごしらえ済のグチをぶち込む。
一匹相伴に与ったが淡白でとても美味しい魚。
エビは贅沢な物を食べるんだなぁとの印象だった。
その後、「イシモチはエビの餌である」という概念から抜け出せずに半世紀の間生きて来たのだが、その他の水産物の資源的減少と価格高騰のあおりをうけて、近年になってこの魚が店頭を飾る機会が増えてきた。
今回贖ったグチは60円/100gの代物。
この単価はアジ・イワシの並み相場と同等なのだが、「エビの餌」時代のなんと6倍でクルマエビ用配合餌料に匹敵する単価である。
と、グチっていてもはじまらない。
生姜を利かせて煮付ければ、あの時の杉村場長の手料理より上手に仕上がった。
2023/9/17 升
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