日展へ(品川97都営バス)
1.
歩いて2分の所に京急の駅がある立地で暮らしているので、私はバスを利用する事がほとんどない。
都心に出ても、地上を走る鉄道や地下鉄が手指を流れる血管の様に無尽に繋がっており、しかも時刻表通り正確に運行しているとあっては、時間不案内なバスは敬遠してしまう。
そんな私が同じ路線を走るバスに過日、もう何回目だろう、乗車を果たした。
そのバスは、品川駅の高輪口から新宿駅西口行きの方向幕を掲げて走る、都営バス。
品川駅を出ると、第一京浜を上り、新設高輪ゲートウエイ駅前を左折して泉岳寺前の魚らん坂を登る。
魚らん坂下から明治通りを左にしばらく走り、光林寺・フランス大使館をやり過ごし、天現寺橋を右に回って外苑西通りに入る。
都立中央図書館の置かれた有栖川宮記念公園と広尾駅の間を通り過ぎ、スイス・オマーン・ルーマニア等各国大使館の間を、走り抜ければ雨が降っていなくても西麻布に出る。
青山霊園の広大な墓石群の右側、環状三号線に入ってすぐのバス停「青山斎場」で下車すれば、通りの向こうにある国立新美術館まで徒歩5分。
2.
およそ三十分の山手線内側南北縦断バスの旅を経て「第十回日展」を閲覧してきた。
第十回と極めて浅い数字を冠しているが、平成26年に名称を改めてからのもので、明治40年の起源から数えるとなんと通算116回目の開催という。
この展覧会には、日本画・洋画・彫刻・工芸美術・書の五科の作品が、公募によって一同に集まってくる。
今年は総搬入数11,328点の内、入選した2,369点と663点の無監査作品を含め、合計3,032点の芸術品が陳列展示されているという。
美術館の1階が日本画と工芸美術、2階が洋画と彫刻、3階に書の展示部屋があって、それぞれの枠の中は更に迷路のような展示通路になっていて壁面に二次元作品が、テーブルあるいは台に三次元作品が所狭しと並べられている。
日本画・洋画共に人の背丈ほどの大きな絵画の迫力にまず圧倒され、数の多さに疲労する。
意外にも魚など水中生物を描いた作品が多い。
魚類図鑑に掲載されそうな正確な描写のものから明らかに「間違いイワシ」の絵もある。
表現の自由、芸術だから文句はいえない。
彫刻の展示場は異様だ。
ほとんど等身大の人の像が、様々なポーズをとり、様々な方向を向いて、微動だにしない。
パントマイヤーが混じっていて、突然動き出さないものかと、不埒に思ってしまう。
中にはこんなものが芸術か?と首を傾げる作品もあって、かの作品からはく離したと思われる塗料の破片が台座に積もっていた(手で触って可)。
こんなものかと言い放ってしまったが、もちろん、こんなものも私には作れない。
この作者はきっともうすぐ二代目太郎と呼ばれるはずだ。
図7 木代喜司作(日展会員)「戦争のない世界」
前回同展に訪れた時、とある作品の画像を携帯で撮影したところ、たちまち会場係員と思われる女性スタッフに囲まれ、こっぴどく叱られらる苦い思い出があった。
今年も同じ規則だろうと思って遠慮していたが、作品にスマホを向けている観衆が多数いる。
念のため、受付に立ち戻って掲示を見ると、営利目的でない限りSNSへの投稿もOKだと記載されていた。
近くにいた水墨画から抜け出した御姫様の様に清楚で美しい受付嬢に、叱られた経緯を話すと、笑顔で対応して頂き、
「ただし絵画の中には撮影禁止の作品があるので注意してください」
とのこと。
「人物写実画の場合、モデルさんの肖像権が発生する恐れがあるからです」
なるほど、写真かと思われる精密な作品が沢山あった。
3.
美術に造詣のない私が日展に足繁く通うのには訳がある。
話は長くなるが、私が大学二年のハタチの暮れに、水産加工実習をかねて一人で北海道に渡った時の話題を簡単に書いたものが、当該ブログの初稿となっている。
タイトルは「ニシン」{ニシン: Mar - 海 - Umi (way-nifty.com)}でクリックしてご一読頂ければありがたい。
そして、別の切り口で、後に下記内容の一節を投稿した事がある。
<1975 師走
冬休みを利用して、私は余市にあった身欠ニシン工場でアルバイトを兼ねた実習をした。
工場は知人の実家が経営しているもので、1週間の滞在後、札幌にいるその知人を羊々亭に招待して感謝の意を表した。
気が付くと、帰りの旅費がない。>
{北回帰(リメンバー色のラベンバー): Mar - 海 - Umi (way-nifty.com)} より抜粋
すなわち、日展に通うその理由は、この記事にある「知人」の作品が、この会場に展示されているからに他ならない。
しかも、その知人のお姉さまの作品もいつも一緒に毎年入選され、同じく展示されている。
さらに驚くべきことは、その知人の親友が、私と44年もの間一緒に暮らしている、カミさんなのである。
つまり、文章にある「羊々蹄」で、私のおごりのジンギスカン食べ放題・生ビール飲み放題を満喫した知人とは、お世話になったY水産のお嬢さん姉妹と彼女達に私を紹介してくれた当時ハタチで未来のカミさん、三名のことなのである。
そんな事件の5年後、私たちの結婚のお祝いにY水産のお母様とお嬢さんが、はるばる東京まで駆け付けてくれた思い出もある。
時を経て、妻の友人Aさんはお父様の実家のあった富山の小矢部市に、姉のIさんはお隣の石川県津幡町にそれぞれ嫁ぎ、半世紀後のいまだに妻と交流が続き、そして素敵な手仕事の作品を毎年産み出し続けていらっしゃる。
彼女達の作品は共に、日展五科の中の工芸美術分野で、日展曰く、実用品に美しさや装飾性を加えて作られた作品で、陶磁器、漆、染色、彫金など更に多岐にわたる分野に別れている。
Aさんは「人形」、Iさんは「染色」のジャンルの作品を毎年造り続けている。
図10 林明代作「YO LO」
既に作風というものが出来上がっているのだろう、私よりか幾分この道に造詣の深い妻の手にかかると、550余りの作品の群れの中からたちまちお目当を探し出し、私を案内してくれる。
今年の日展工芸美術科の審査主任である三田村氏のお言葉をお借りすると、
<外部の審査員二人を交えて 19 人で、鑑審査にあたっての意気込みなどを話し合うことから始める。
作者の思いと努力に対して、尊敬の念を持ち、作品と真摯に向き合い、作品の良さを感じ取っていきたいとの思いで鑑査に入る。
立体、平面の入落を一審、二審、三審と日を重ねて行う。
この間皆が一切無言で、作品と向き合い、良い作品への挙手を繰り返し行う。>
という厳しい審査を通過しての作品。
もちろん私などには評などし得ないが、姉のIさんの作品(染物)は墨を使っているためか畳表程の大きな作品のイメージはいつも「黒」。
日本海のどんよりと重く垂れさがった黒い雲の下で、怒涛の波が常に浜辺に押し寄せていた冬の力強い余市がIさんか。
あるいは、ニッカウイスキー創立をテーマにした朝ドラ主題歌で中島みゆきの歌う「麦の唄」に表された優しくも力強い余市がAさんか。
あの海辺の小さくも暖かな工場で、ニシンの脂でツヤツヤの同じ両親の手で育てられた姉妹が、相反する色彩で自分を不可思議に表現していた。
4.
背中のリュックが重い。
西門から出て、乃木坂のトンネル下をくぐる。
トンネルの中で歌って踊っているのか、お嬢さん46人の集団はいなかった。
衆議院青山宿舎裏門に仁王立ちしている大柄な警察管がいぶかし気な眼で私を追う。
横断歩道を渡り「坂の上の雲」で大活躍した秋山好古・真之兄弟が眠る青山墓地の斎場前でバスを待つ。
来た時と同じ都営バス品川97「新宿駅西口行き」は三停留所前まで来ているという点滅のサイン。
<青山斎場>→<青山いきいきプラザ入り口>と北に走り、次は秋篠宮殿下のお住まいのある赤坂御所と秩父宮ラグビー場の間にある<青山1丁目駅前>に停車する。
停留場から日本ラグビーの聖地秩父宮ラグビー場のバックスタンドまで200mほど、レフリーの吹くホイッスルの音や観衆あげる歓声が聞こえるかもしれない。
青山通りを渡ると、道路は東側を並走していた外苑東通りと合流して、路名は外苑東通りに替わりさらにバスは北上を続ける。
<北青山一丁目アパート前><権田原><信濃町駅南口>を経て中央線を横断し<信濃町駅前>に到着する。
(慶応病院前)のサブタイトルの付いたこの停留場で下車。
背中の荷物、船戸与一「猛き箱舟」上下巻、好川之範「土方歳三最後の戦い 北海道199日」、山形孝夫「失われた風景 日系カナダ漁民の記録から」、三浦しをん「風が強く吹いている」等のハードカバー、新田次郎「密航船水安丸」文庫本、計6冊の名著をリュックから取り出し、病院総合案内所脇にあった<入院患者差し入れ品預り所>の専用袋に入れ替え、宛先を7D病棟 761号室 Mと書いて踵を返した。
そういえば、これの差し入れを読むMは、Aさんに会ったことがある。
2023/11/17 升
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コメント
フランス大使館行脚の折はご苦労様でした。
本を御所望との連絡を拝見し、療養生活の無聊お見舞いと対病戦勝祈願の趣旨で、大事な蔵書を献上しました。
貴殿の読書嗜好不明の為、多様なるジャンルから選別したつもりです。
二十年前に遠藤周作氏のエッセイを送らせて貰った時は、「面白かったが良く見つけたな」とのコメントを頂きました。
しかし、数年前に同病院で、同じく献上した「戦艦武蔵」は、残念ながら結果無しの礫でした。
今回、時間は十二分にあると思われます。
少しの文章でも構いません、講読後の雑感など徒然に書いていただくのが、何よりに増しての嬉しいご返事になろうかと僭越ながら申し上げます。
投稿: 升 | 2023/11/23 17:45
フランス大使館か。昔学生時代フランスのムルロア環礁での水爆実験に対し抗議文を海洋学部有志として(学部承認)届けたことがありました。広尾近辺は大使館が多く独特の雰囲気ありました。
投稿: Mより | 2023/11/22 16:14
記憶にございません。
投稿: M | 2023/11/19 20:38