密航船水安丸乗船者を追って⑬
とよと泰二郎、失われた関係
本シリーズ⑩で後藤金平氏について触れた。
17歳のとき水安丸でカナダに渡り、1966年(昭和41)金平氏77才の時に喜寿の思い出として綴ったという「60年を回顧して」は、実弟の後藤六郎氏が編集し小冊子として自費出版されている。
オリジナルを蔵している図書館はなく、不鮮明な複写版が宮城県図書館の宮城資料室に、ただの一部保存されているだけである。
だが幸いなことに、元東和町教育委員会主事小野寺寛一氏がまとめた「カナダへ渡った東北の村 : 移民百年と国際交流」(耕風社、初版1996.3月)の中にこの全文が収められており、国会図書館で誰でも閲覧可能だ。
以下要点のみ(p310)抜粋した。
『前略 朝風に帆をはらませて走ったその翌朝、甲板上に三人の女性が居ったのに目を見はった。男子のみの船中に天下った美女、一人は二十四、五歳、此の人は後に及甚様の長男泰治朗さんと仲が良く、私が七年前帰朝の際訪問して昔語りをした。カナダを早くひきあげて仙台市に及川旅館を経営して居られた。一人は十八歳の素晴らしい容色の整った美人、後に私共一行のために寝食を忘れて骨折ってくれた領事書記吉江氏の妻女となり、昭和十二、三年頃夫のもとを去って仙台にひきあげた人、もう一人は同行中の鈴木さんという方の妻君であった。後略』―「60年を回顧して」小野寺寛一編1996.3 ―(下線は筆者挿入)
唯の1部だけ保存されているオリジナルの複写版を宮城県図書館宮城資料室から頂いた同じ部分のコピーが図3である。
読み辛い為p40の同部分を下記打ち直した。
『前略 出帆の日は何日であったか忘れたが、たしか9月の十日頃であったように思う。朝風に帆をはらませて走ったその翌朝甲板上に三人の女性が居ったのに目を見はった。男子のみの船中に天下った美女、一人は二十四、五歳、此の人は後に及甚様の長男泰治郎さんの嫁女となり、私が七年前帰朝の際訪問して昔語りをした。カナダを早くひきあげて仙台市に旅館を経営して居られた。一人は十八歳の素晴らしい容色の整うた美人、後に私共一行の為に寝食を忘れて骨折ってくれた領事書記生の吉江氏の妻女となり、昭和十二、三年頃夫のもとを去って仙台にひき上げた人、もう一人は同行中の鈴木さんという方の細君であった。後略』―「60年を回顧して」後藤六郎編 出版年不明(下線は筆者挿入)
そしてもう一つある。
後藤金平氏が「60年を回顧して」記述の前年、66歳の時に書いた、弟の完治さん宛てに送った文書(後藤金平氏手記)が残されている。
『1906年、鱒淵出身の及川甚三郎氏計画の下に企画された北洋漁業者なるものが、明治三十七年、八年の日露戦争の惨禍を受けた三十九年の九月末、一切の準備を整ひ、水安丸一九六トン二分といふ四本マストの帆船で、萩の浜出帆、上院八十三名が、一人ひとりが海員手帖を受く、外女性三人、一人は同行鈴木さんの妻女、一人は上陸後及甚様の長男泰次郎氏と結婚、一人は上陸当時尽力したバンクーバー駐在領事書記吉江三郎氏と結婚、現在二人共仙台市内在住。
当時、乗員の年齢層は、四十を出た人は三、四名、二十五、六―三十代の物が大部分を占め、十八歳のものは三名、この中の一人が私でした。後略』―「後藤金平手記」後藤完治蔵(下線は筆者挿入)
何れの文章にも水安丸の女性乗客についての記述がある。
氏名の記載こそないが鈴木さんの妻女以外の二人は、及川とよ・うん姉妹である。
そしてとよの人物像として、金平氏は甚三郎の長男泰次郎(泰二郎)と後に「嫁女となり」あるいは「結婚」、と明記されている。
ところが小野寺寛一氏が関与編集した「60年を回顧して」は、その他の箇所は一字一句オリジナルに忠実に同じくしているのだが、この「嫁女となり」の文節に限って「仲が良く」と改ざんし曖昧な表現でお茶を濁している。
一方の妹うんの結婚やその後の生き様の描写は克明に調べた山形の記録にある通りの内容だと言える。
念のため登場人物の行動を時系列で年代考証を行って見た。
山形によれば、及川とよが仙台大火後に帰国したのは38歳の大正8年(1919)、1906年の事件からカナダに永住している金平氏に取っては「そうそうの帰国」になるのだろう。
同じく、妹のうんが吉江三郎に見切りをつけ帰国し仙台のとよの家に落ち着いたのは44歳の昭和10年(1935)。
金平氏のいう7年前の帰国は、昭和34年(1959)になるから、及川とよは78歳、うんは69歳、「現在二人共仙台在住」になる。
とよは翌1960年3月29日(78)に亡くなっているので、金平氏と仙台で昔話に花を咲かせた筈であり、この頃まで及川旅館が存在していたと考えられる。
すなわち、金平氏の記憶に多少時期的誤差はあるものの、創作はないものと思われる。
従って、及川とよと泰二郎の婚姻関係は、期間や戸籍上はとにかく、現実と考えざるを得ない。
新田は「密航船水安丸」の執筆に際し、バイブルの様に、金平氏の「60年を回顧して」を暗記するほど読み重ねたとしている。
山形は文献欄に金平氏の著書を載せてはいないものの、新田の著作は揚げていることから金平氏の手記を見逃す筈はないだろう。
合点がいかないのは、新田・山形両氏がそれぞれの著作の中で、及川とよと泰二郎の関係について、一切触れていない事だ。
男と女の話。
小説家であればいかようにでも話は膨らませた筈なのに、あえて書かない、あるいは書けない事情があったのか。
山形に至っては仮名まで使って二人を現実から遠ざけている節がある。
渦中の及川甚三郎と先妻ういのの長男泰二郎の行方は、大正13年カナダから帰国し、佳景山に父を訪ねて(新田)依頼行方がわからない。
2024.02.11 升
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