あさひが照らす落石の岬
日本各地から出航した北米航路の船舶は、まず太平洋岸を北上し、昼ならば北海道の東の端の白地に太い赤のストライプの入った灯台を、夜ならば8秒間隔で光る灯りを、霧の中ならば30秒間隔で5秒を二回吹鳴する霧笛を、それぞれ頼りに主舵を切って日本列島に別れを告げ大陸に進路を向けたという。
東経145度30分55秒、北緯43度9分52秒、そのまま真東へ進路とれば、北米大陸はバンクーバーとサンフランシスコの中間、オレゴン州辺りにぶつかる位置。
灯台の周辺は湿地に覆われ、国の天然記念物に指定されているツツジが自生していて、環境保全地域になっている。
そのため、車両の乗り入れは禁止されていて、灯台に行くためには車を置いて、木道や草原を2キロほど歩く必要があるため、魅力をいっそう高めている。
晴れた日には太平洋のパロラマが一望でき、振り返れば草原に覆われた海抜50mの断崖上を、JR花咲線が縦走する姿が絵になることでも名を上げている。
高く突き出た岬を頭に、低く細くなっている付け根分部を頸部に見立て、アイヌ語の「オクチシ」(うなじ)に由来した地名で、和名は「おちいし」と読みます。
集落は、表現豊かなアイヌ民族の言葉通りに岬に突き出した高台の根元にある低いところにあって、惣万君の故郷です。
あんなに晴れていた納沙布岬から40kの道のりを南下するにつれて霧が出てきました。
ほぼ直線と言っていい対向車もない道道142号線を80㌔で走っていると「落石駅」の矢印が突然見えてきます。
この花咲線の駅は、惣万君が5駅先の根室駅まで毎日、道立根室高校への通学の為に使っていたものに違いありません。現在の利用客は10名/日程との事ですが当時は、150名ほどいたとの事で、もっと賑わっていた筈でしょう。
もっとも、終着の町根室の駅舎も思いの他大きくなく、そうそう、東海道線の原駅の駅舎に匹敵するくらいでした。
落石駅に到着したのが11:40分、10分前に厚岸根・室方面行が出たばかりで、列車が撮れなくて残念でした。
駅の時間表を見ると1日6往復、面白いことに惣万君が利用していた頃(1973)のJTB時刻表に記載されている本数と同じでした。
7:10発に乗り根室7:37着、帰りは16:50発→17:17着が通学列車でしょう。
いまは、落石港発→根室高校前経由→根室市民病院行のバスが1往復運行されているようです。
道道142号線に戻るとすぐに、今年4月に中学校が統合して新たに根室市立落石義務教育学校とされたそれまで小学校だった校舎があり、その先に同時に廃校となった中学校の校舎が見えます。
5月にこの付近でヒグマが出たとニュースになっていました。
どちらも惣万君の母校でしょう。
3月に落石中最後の卒業式があり、卒業生代表の挨拶は惣万凛桜さんだったとの、根室新聞記事を見つけました。
惣万君によればご両親は既に亡くなり、彼のお姉さんも弟さんも札幌などに出ていて、20年ほど前に墓仕舞いもしたが、今でも落石の惣万姓は皆父方のご親戚とのこと。
凛桜さんも彼の御親戚のお一人に違いないはずです。
中学校前の道道を道なりに進んで行くとおしゃれな郵便局の前に暖簾が下がっているお店がありました。
目指す朝日食堂です。
惣万くんからは「88の婆さんだからもうやってないかも知れないよ」と云われていたお店。
暖簾が出ていたので営業中に間違いありません。
引き戸をガラガラと開けると、カウンター席にもその向こうの調理場にも誰もいません。
「こんにちわ~」を繰り返すと奥から出てこられました。
名物エビラーメンを注文し、撮影の可否を問うと快く許して頂きました。
柱に貼られた保健所発行の食品衛生責任者証のお名前は惣万照子さん、間違いありません。
スマホに保存しておいた若い頃の惣万君の写真をお見せして自己紹介をすると、たちまち相好を崩されました。
麺を冷蔵庫から取り出しながら語り始めたヨシタカちゃんの若い頃の物語。
落石№1の漁師だったヨシタカちゃんのお父さんの事、その三番目の弟に28才で嫁いで40年前にこのお店を開いたこと。
ヨシタカちゃんが仕事で海外に行っていた頃、奥さんがお父さんの葬式のために一人でここまでやってきてくれた時の事。
毎年静岡からお茶を送ってくれて、一緒に入っている綺麗な字で書かれた、近況を読むのが楽しみなこと。
お礼に港の魚を送ってやりたいけど最近はいい魚が獲れなくなったこと。
落石で揚がった真っ赤なホッカイシマエビ入りの美味しいラーメンを平らげてもまだ、お話が尽きません。
営業は2時までとの事、もうすぐ閉店の時間です。
「最近は脚が痛くなって、齢が齢だし、いつまで続けられるか分からない」と云いながら送っていただきました。
いつまでもお元気で、ごちそうさまでした。
外に出ると辺りはすっかり霧に包まれていました。
下り坂が続き集落と思われる地域に出ると周辺は完全にホワイトアウト状態です。
道路の前方には草地とも砂地とも思われる僅かな面積が見えるだけで、海岸なのか山なのかさえ分からなく、方向を失う危険を感じ引き返しました。
あとで聞けば灯台に繋がる木道は改修工事中で通行止めになっていたそうです。例え辿り着いていても何にも見えなかった筈と舌をだしています。
頼りの霧笛も、15年前に廃止され、もう道案内は叶いません。
霧のなかを更に道を下って行くと漁港にでました。
ウミネコ達も見通しの効かない空を飛ぶのをあきらめたのか一斉に羽を休めています。
向こうに落石岬、高さ50mの大気を観測している地球環境モニタリングステーションが幽かにみえました。
整備された大きな水揚げ場が目に入りましたが船の出入りはもとより人の姿も見られません。
日本で一番早く日が昇る町は、この日霧の中に沈んでいて、朝日食堂だけが灯台の様に輝いていました。
2024/6/16 升
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