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2025/03/20

じろえむのお櫃

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大きな茅葺の長屋門をくぐると鶏の鳴き声が聞こえた。

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通された板張りの座敷には、昭和のテレビジョンと大正のオルガンが障子と板戸の角々に置かれている。
花柄のクロスがかけられた座卓には、あらかじめ茶器に魔法瓶、それに飯盛り茶碗が盆の上に乗っている。

老夫婦の脚を思んばがって座布団から座椅子に換えていただき、先ずお櫃が運ばれてきた。
お茶もご飯もご自由に、と言う事らしい。

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かまどでご飯を炊くので予約の客しか受けられないという。
一の膳だけで最初のお櫃を空にしてしまい、次々に運ばれて来る料理はどれもご飯と一緒に食べたいものばかり。

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必然的にお櫃のお代わりをお願いする羽目に陥る。
自家栽培の米のせいか、かまど炊きのお陰か、お櫃の魔法なのか、とにかくご飯がおいしい。

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平飼い鶏の有精卵を土産に贖い、茶碗5杯半を詰め込んだ腹を抱えて帰路に着く。
携帯が鳴ると「じろえむ」さんから、
「ごめんなさい。間違ってご注文のものより二品多いセットをお出ししてしまい、しかもお代も頂戴してしまいました。どうしましょう?」

年寄りだから少なめにしとくよ、と注文したつもりだったのだが、どおりで食べ過ぎた。

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以下「じろえむの紹介」より

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初代稲葉二郎右衛門は、江戸初期に紀州(和歌山県)から渡ってきたと言う説と、里見氏の家来だった稲葉氏が祖先であるという説と、2通りある。
江戸時代の10代当主までは次郎右衛門を襲名し屋号が「次郎衛門(じろえむ)」となった。
菩提寺である山名智蔵寺の過去帳でわかる範疇では現当主は14代である。


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①母屋
4間(7.2m)×6間(10.8m)。
本四六といわれる大きさ。
約300年前に建設。大正12年の関東大震災の時後ろの石垣に倒れかかったのを引き起こした。
昭和45年頃に茅葺屋根にトタンをかぶせる。平成8年に補修・改築。

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②台所
明治17年の長屋門建設の際、既存の台所は親戚に譲り4間×5間(9m)のもものを新設。
関東大震災で倒壊したが、材料だけ利用して再建。
昭和48年に土間から板の間に改築。
平成8年に解体、加工場建設。

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③堆肥場
3間(5.4m)×4間(7.2m)。
江戸時代に建設。昭和48年までここに厠(便所)があり、そばに置かれた大樽に移して堆肥にした。

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④蔵
3間×4間。
江戸時代に●の場所に建設されたものを明治時代に現在の場所に移動、湿気がひどかった事と方角が悪かった事が理由と伝えられているが、建設よりも費用がかかったという。
おおい蔵と呼ばれる建て方で、天井裏に15㎝くらい泥が塗ってありその上に屋根がのせてある。
地震の時にはこの屋根が落ちる構造になっていて屋根の重みでつぶれるのをふせいでいる。

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入り口は木戸と厚さ10㎝程の泥の引き戸。
厚さが20㎝の泥の観音開きの扉と3重になっており、火事の際は泥で目張りをすれば火が入らなかった。
床は地面から1mほど上げてあり、湿気を防いでいる。
平成6年に作業場として改築。

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⑤長屋門
明治17年に建設。
4間(7.2m)×13間(23.4m)で52坪の総二階建て。
石垣を積んで埋め立てた上に建てた。床部分の土はにがりを混ぜて固めてある。
大工が設計し、木びき(材木屋)が山で材木を調達。
前の畑で製材。建前に1週間かかったという。
骨組みは金物を一切使わずに組み立ててあり、石の土台にのせて屋根の重みで押さえている。
関東大震災の折り、5㎝ほど母屋側にずれた。
壁板などはかじ屋が1本1本たたきあげた角張った釘で張ってある。
屋根裏の梁が太縮交互に使われているのは地震の際建物にかかる力を逃がすためである。
   部は馬屋。   部の2階には使用人の寝床として8畳2間ある。

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一階分部は物置。一気に運ばれて来る小作物の置き場。
わらや茅などの保管場所。雨の日の作業場所としてたてられ□□□□□□□示という目的もあったと思われる。
馬屋部分の2階にはむしろ編み機が□□まれており、雨の日は近所中集まってむしろを織ったりした。
脱穀・籾すり等も雨の日にこの長屋門の下で行う作業だった。
屋根には約1万把(1把は直径約15㎝の束)の茅が使われているという。

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吹き替えは20~30年サイクル(日当たりによって違う)。
平成7年に裏側をふきかえ、前側(通り門については裏側という言葉を使わない)は平成11年に吹き替え予定。
現在は茅も手に入れづらいので、必要量を確保するのに片側で3年かかる。
平成8年に住居として改築。

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⑥隠居所
明治時代に建設。3間×4間。昭和58年に建て直す。

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