鮟鱇
20キロを超えるアンコウを作業台の上に載せ、その男の説明が始まった。
①まず、よく水洗いをする。
②胸鰭を切り落とす。
③仰向きに寝かせ、肛門から刃先を上にした包丁を入れ、顎に向けて腹を裂く。
④肝臓を丁寧に切り落とし、同時に他の内臓も取り出す。
⑤口唇の周りの皮に薄く包丁を入れ、身を起こし、口を包丁の刃先で押さえながら左手で皮を一気に剥く。 更に、 口唇および尾を切り落とす。
⑥再び仰向きにして、腹を完全に開き食道入り口にある奥歯を除去。 ついで、カマの部分を切り落とす。
⑦頭部と胴部を切り離し、 身を3枚におろす。
作業台の上には切り離された各パーツが整然と並んだ。 更に講釈は続く。
使用パーツ=身・骨(背骨・頭部・カマ)・肝・皮(生殖巣含む)。 廃棄=その他の内蔵(胃も含む)および歯。
~ 身・骨・肝・皮をそれぞれ水洗し、製品3キロ/ケースの中に等分になるよう切り分け計量し、梱包する。 これが貴方達の明日からの仕事です。 170ある店舗から1ケースづつ注文が来ると仮定して、3㌔×170店舗÷0.85(歩留)=600㌔が1日の原料処理量となります。 なに、20キロの魚ならばたったの30本です。 あっという間に終わりますよ~。
男は例のマグロの師匠であり、私たちは快くこの新しい仕事を引き受けた。 マグロよりはるかに簡単だ。
本番の翌日、師匠は多忙を理由に来ない。 スチロール入りの原料600㌔だけが搬入されている。 簡単な作業だからそれも良しとして発泡を開けた瞬間、一同の声が詰まった。 真白いスチロール箱の中に収まっていた確かなるアンコウの姿はワラジそのもの。 1キロにも満たない。
“騙された”の声すら出せないまま、600㌔÷0.9㌔=667尾のワラジアンコウを捌ききった時には、いつものように夜が明けかかっていた。
作業時間=包丁を入れる回数、魚の大小に関係なく包丁を入れる回数が同じな事を、この時教わった。
“アンコウの七つ道具”という和食通にだけ分かる文節がある。 一般的には、肝・とも・ぬの・柳肉・水袋・えら・皮を指すらしいが、私たちが行なった作業=現代消費者の要求から見ると四つ道具で充分なのかも知れない。 廃棄処分になる水袋(胃)にはアニサキス(加熱調理すれば悪さはしない)がドクロを巻き、口唇部分は歯が危険である。 私たちは常に安全な食品を収めなければいけないのである。 今の世に “アンコウの七つ道具”がご希望のお方は、例えワラジアンコウといえ、一匹丸ごと購入しないとその望みが叶わない。
美食家の私は廃棄処分扱いの胃袋と口唇を吾が食卓に持ち込んだ。 土鍋底に利尻昆布を敷き加熱する、沸騰直前に昆布を引き揚げアニサキス蠢く水袋の短冊をヒラヒラと入れる、次いでコラーゲンたっぷりの口唇をたっぷりと入れる。 これこそ究極のピンポイント鮟鱇鍋になってしかるべき。 ちゃぶ台の上でチンチンしている鍋の蓋を開けた女房殿が、その重たい蓋を悲鳴と共に落とした。
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コラーゲンが熱で凝縮しプリプリのゼラチンに変化した数十の唇が、顎の骨を開かせ、ノコギリのような歯が立ち並ぶ歯茎を露にし、皆にっと笑っている。 “笑うセールスマン”スマイルだ。 鍋中、何処を向いても、にっ!にっ!にっ! 掬い上げると歯に糸コンニャクが必ずからみつき、風景がいっそうホラー化する。
マグロの茹目玉、鶏爪の唐揚、と共に“アンコウのクチビル鍋”も、我が家では3大怪奇料理としてネコすら冷たい眼差しを私に送り、またいで行く。
02/14/2005 升
「鮟鱇が粕に因ったよう」
醜い顔が赤くなつているのをあざけった言葉。
「鮟鱇の餌待ち」
アンコウのように大きな口をポカンと開けている愚鈍な人。
「鮟鱇の待ち食い」
何も貢献せずにご馳走だけありつく、怠け者の代名詞。
「鮟鱇武士」
口では大きなことを言うが、内心は卑怯な武士をののしって言う。
私だ。


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