児童雑誌「赤い鳥」は、主催者である鈴木三重吉の自宅・北豊島郡高田村大字巣鴨字代地3559(現・豊島区目白3-17-1付近)で創刊された(1918(大正7)年7月)。
夏目漱石門下の鈴木三重吉は、当時の文壇の作家たちの協力を得て、芥川竜之介の「蜘蛛の糸」「杜子春」、有島武郎の「一房の葡萄」などの作品をはじめ、小川未明、坪田譲治、新美南吉、平塚武二などの童話、北原白秋などの童謡作品を紹介し、日本の近代児童文学における優れた童話作家、童謡詩人を育成、輩出した。
創刊号に掲載された「赤い鳥の運動に賛同せる作家」の名は、泉鏡花、小山内薫、徳田秋声、高浜虚子、野上豊一郎、野上弥生子、小宮豊隆、有島生馬、芥川竜之介、北原白秋、島崎藤村、森森太郎、森田草平、鈴木三重吉。そのほか、三木露風、谷崎潤一郎、小川未明、佐藤春夫、西条八十、菊池寛、豊島与志雄なども「赤い鳥」に童話や童謡を執筆した。
一流の文豪の執筆陣を揃えただけでなく、次世代の作家・詩人の育成、児童の綴り方運動などにも力を入れ、日本の児童文化のはばたきに大きな役割を果たした。
また、清水良雄を主任画家に迎え、表紙や挿絵には清水をはじめ当時人気の画家たちの絵が起用された。
1919(大正8)年に赤い鳥社は日本橋へ移転(おしるこ屋さんの2階)し、その後また目白に戻って近辺を転々としている。
1920(大正9)年には赤い鳥社を高田町3559へ、1922(大正11)年には自宅兼赤い鳥社を高田町3575(現・目白3-18-6)に移す。
1924(大正13)年10月は市谷田町3-8に赤い鳥社、自宅を長崎村字荒井1887(現・目白4-8)へ、
1925(大正14)年3月は自宅兼赤い鳥社を長崎村字荒井1880(現・目白4-5)に置く。
1926(大正15年)赤い鳥社が日本橋・加賀銀行5階へ。
1927(昭和2)年、自宅兼赤い鳥社が四谷区須賀町40番地に移転する。
1936(昭和11)年6月27日、肺臓ガンのため、鈴木三重吉逝去。
同年8月に「赤い鳥」は終刊。
同年10月には「赤い鳥鈴木三重吉追悼号」が刊行された。
以上 銀貨社HPより抜粋
父の祖父の長女の次男坊を父側から如何に呼称するのか知らないが、私の父は、父の父親の従兄弟がオーナー社長として経営する株式会社の役員を務めていた。
私に物心が付いた頃から正月の三日は決まって、父の会社のオーナーであり私の親戚筋に当たる「お殿様」の様な御仁のもとへ、年始のご挨拶に家族全員で訪れた。
お洒落をして石神井公園駅から電車に乗り、椎名町駅で下車。改札を出て直ぐに大きなガードを潜る。クネクネとした路地をしばらく歩くと、大きな通りに出る。
大きな通りにはチャンと一段高い歩道があって、その脇に、われ等一行が必ず立ち寄る生花屋があった。
その店で母が献上花を購い、再び迷路の様な細い路地に入った。
最後の路地を右に曲がると左手に路面から1段高い垣根が奔り、その中に小さく切られた木戸を勝手に潜る。
芝生に埋め込まれた飛び石を数十個緊張した足取りで進むとようやく「お殿様」のお屋敷の玄関に達する。
何の趣向だか、玄関の脇に殻長2尺余りの大シャコ貝の片身が凹面を上に置かれていた。
間口一間の玄関を父が開け、おとないを告げると「女中」様が「いらっしゃいませ」と応じ、私たちは、玄関のたたきに植えられた蒼い石の塊に脱いだ靴を揃え、「殿様」への接見場のお部屋へとあないされ、従う。
座敷には既に膳が予め用意されていて、頑是無かった私も「殿様」の御出ましを暫時畏まって待つ。
殿様はきまって焦げ茶色の着流しの上に同色の袢纏姿で直ぐに現れ、上座に御座し、新年の挨拶を交わし、御屠蘇で〆た。
後続する酒席の前に、ぽち袋に納まったお年玉が私と姉の小さな掌に配され、同時に、鉛筆・色鉛筆・ボールペン等が年齢に応じたご配慮を賜り、「お土産」にもたされた。
新潟新津育ちの我母が私の父方の祖母から仕込まれたと言う、我が家のお節を、元旦・二日と食した私には、親戚筋にあるとはいえ、我が家伝来の母の作ったお節をはるかに超越した「粋」を感ずる小鉢の数々に感動した。
「遊郭では、この様な膳が出るのだな?」
三矢サイダーがグラスの中で気泡を弾く音を聞きながら、小学生の私は何故だか肯いていた。
自宅兼赤い鳥社を、鈴木三重吉が長崎村字荒井1880(現・目白4-5)に構えた1925(大正14)年3月の時、路地を挟んだお向かいに、路面から1段高い垣根が奔るお屋敷があった。
初代が1922(大正11年)に身罷ったっそのお屋敷は、その当時、襲名したばかりの二代目(明治37年生)の時代だ。
二代目とフミ夫婦の間に残念ながら子は出来なかった。
だが、長女に読み聞かせる純粋な児童雑誌がないが為、自ら創作運動を提唱し、長女(すゞ)誕生から2年後に鈴木三重吉が「赤い鳥」を創刊したらしい。
したがい、大正5年産まれの9歳のすゞが私達の「お殿様」のお向かいに寝起きし、「お殿様」のお屋敷のただ広いかった庭で遊んでいたかも知れない。
ぽつぽのお手帳
すゞ子のぽつぽは、二人とも小さな/\赤いお手帳をもつてゐます。
この二人は、「黒」よりもにやァ/\よりも、「君」よりも、だれよりも一ばん早くから、すゞ子のおあひてをしてゐるのです。
一ばんはじめ、或る冬の、氷のはつてゐる寒い日に、二だいの大きな荷馬車がお荷物をつんで、ぽつぽたちのながく住んでゐた村から、町の方へ、こと/\出ていきました。
ぽつぽは、あのまゝかごにはいつて、その二ばんめの荷馬車の、一ばんうしろに乗せられてゐました。
二人は、一たいどこへいくのだらうと言ふやうに、しきりにきよと/\くびをうごかしてゐました。
お父さまはそのときぽつぽに言ひました。
「二人ともおとなしくして乗つてお出(い)で。こんどは海の見えるお家へいくんですよ。」と言ひました。
「そして、そのおお家へ、小ちやなすゞちやんが生れて来るのですよ。」と、小石川のお祖母(ばあ)ちやまがそつと二人におつしやいました。
ぽつぽは、「お祖母さま、お祖母さま、そのすゞちやんといふのはだれでございます。」と聞きました。
お母さまは、だまつて、たゞかるくわらひながら、みんなと一しよに車に乗りました。
ぽつぽは、それからこんどのお家へつきました。
そのじぶんには、すゞ子の曾祖母(ばあばあ)は、まだ玉木の大叔母(おばあ)ちやんのところにいらつしやいました。
あき子叔母(をば)ちやんもまだ来てゐませんでした。
おうちには、千代といふ小さな女中がゐました。
ぽつぽは、せんとおなじやうに、お部屋のそとの、ガラス戸のところにおかれました。
このお家は、おもてからはいつて来ると、たゞの平家でしたけれど、上へ上つて、がらす戸のところへいつて見ると、そのお部屋のま下が広いおだいどころで、そこからはお部屋はちようど二階のやうになつて、つき出てゐました。
そのお部屋のぢき目のまへは砂地でした。そして、そのすぐさきが海でした。
ぽつぽはガラス戸の中から、どんよりした青黒い海を、びつくりして見てゐました。
まつ正面の、ずつと向うの方には、小さな赤い浮標(うき)がかすかに見えてゐました。
その向うを、黄色いマストをした、黒い蒸汽船が、長いけむりをはいて、横向きにとほつていきました。
二人のぽつぽは、「おや/\、あんな大きな船が来た。おゝ早い/\。ぽッぽゥ、ぽッぽゥ。」とおほさわぎをしました。
お母さまはこのお部屋へおこたをこしらへて、小さなすゞちやんが生まれてくるのをまつてゐました。
そして千代と二人ですゞちやんの赤いおべゝをぬひました。
暗い冬はそれからまだながくつゞきました。
昼のうちは、おもてのじく/\した往来を、お馬や荷車やいろ/\の人がとほりました。
それから、お向ひのうどんやで、機械をまはすのが、ごと/\ごと/\と聞えました。
しかし夜になると、あたりはすつかり穴の中のやうにひつそりとなつて、たゞ、海がぴた/\と鳴るよりほかには、何の音も聞えませんでした。
暗い海の中には、星のやうなあかりがたつた一つ、ちかり/\と消えたりとぼつたりしました。
それは、昼に赤く見えてゐた、あの浮標の上にとぼるあかりでした。
ぽつぽは、そんな晩には、さびしさうに、夜でも、「ぽッぽゥ、ぽッぽゥ。」となきながら、
「すゞ子ちやんはまだおうまれにならないのですか。いつでせう、いつでせう。」と聞きました。
二
そのうちに、だん/\と五月が来ました。海の空もはれ/″\とまつ青(さを)に光つて来ました。
お母さまは、ネルの着ものに、青いこうもりをさして、千代をつれて、そこいらへ買ひものにいきなぞしました。
往来には、もういつの間にか、つばめが、海の向うから来て、すい/\とかけちがつてゐました。電信の針金にもどつさりとまつてゐました。
お父さまは、すゞちやんはいつ生れるのでせうねと、よく、小石川のお祖母(ばあ)ちやまとも話し/\しました。
お家のちかくには、高井さんのおばあさまといふ、それは/\よいおばあちやまがいらつしやいました。
そのおばあちやまが、とき/″\おみやをもつていらしつて、小石川のお祖母ちやまとお二人で、早くすゞちやんが生まれるやうに、いのつて下さいました。
すると、六月の或晩でした。お母さまには、あすはすゞちやんが生れるといふことがわかりました。
お父さまも、それはよろこんで、すぐに小石川のお祖母ちやまに来ていたゞきました。
でも、ぽつぽにだけは、みんなだまつてゐました。
ぽつぽがよろこんで、あんまりおほさわぎをするとうるさいから、あとでそつと見せてやることにしたのでした。
その晩お母さまは、すゞちやんの寝る小さな赤いおふとんをちやんとしいて、そのそばへやすみました。 お父さまがあくる朝日をさまして見ますと、ちやんとすゞちやんが生まれてゐました。
まつ赤(か)なお顔をした、小さい赤ん坊のすゞちやんは、一人で赤いおふとんの中に、すや/\とねてゐました。
お父さまは、よろこんで、
「お祖母さま、小さなすゞちやんが生れて来ましたよ。」と言つてよびました。お祖母ちやまは、かけていらしつて、
「あら/\かはいゝすゞちやんね。」と言つて、それは/\およろこびになりました。
すゞちやんはそれからしばらくたつて、はじめてお母さまにお乳をもらひました。
すゞちやんは、とき/″\「おぎァ/\」と泣きました。それから、「おふんにやい/\」と言ふやうにも泣きました。
ぽつぽは、はじめてすゞちやんの泣き声を聞くと、
「あれはだれでせう。ぽッぽゥ、ぽッぽゥ。」と、しきりにお父さまに聞きました。
お父さまは、
「あれはすゞちやんだよ。こんど生れた赤ちやんだよ。」と言ひました。すると、ぽつぽは、よろこんで、
「おやさうですか。」と、ぱた/\おほさわぎをしました。
そして、
「早く見せて下さい。早く/\。」と二人でねだりました。
しかし、すゞちやんは、まだたうぶんは、そつとねかせておかなければならないので、ぽつぽのところへつれていくわけにはいきませんでした。
ぽつぽは、まいにち/\、
「どうぞすゞちやんを見せて下さい。早く見せて下さい。」と言つて、かはる/″\ねだりました。
それで或日お父さまは、すゞ子をそつと、おふとんにくるんで、ぽつぽのかごのまへにつれていきました。そして、
「すゞちやん/\、ごらんなさい。これがおまいのぽつぽだよ。」と言ひました。
ぽつぽは、
「すゞ子ちやん/\こんちは。」
「すゞ子ちやん私(あたし)もこんちは。」と、それは/\おほよろこびでかう言ひました。
でも、まだ小ちやなすゞちやんは、まぶしさうに目(めんめ)をつぶつて、おぎァ/\といふきりで、ぽつぽを見ようともしませんでした。
すゞちやんは、たとへそのとき目(めんめ)をあけても、まだ、ぽつぽどころか、お父さまもお母さまも、なんにも見えなかつたのでした。
だれでも小さなときは、目(めんめ)があつても見えないし、お手(てて)があつても、かたくちゞめて、ひつこめてゐるだけです。
ちようど、足(あんよ)があつても、大きくなるまではあるけないのとおんなじです。
そのうちに、だん/\と暑い八月が来ました。海はぎら/\と、ブリキを張つたやうにまぶしく光つて来ました。すゞちやんは、昼でも、小さなおかやの中にねてゐました。
お母さまは、お部屋の鏡だんすのふちから、ねてゐるすゞちやんの目(めんめ)のま上へ横に麻糸をわたして、こちらの柱のくぎへくゝりつけました。
そして、赤いちりめんのひもの両はしに、小さな銀の鈴をつけて、それをその糸へつるしました。
すゞちやんは、目(めんめ)がさめて、かやをどけてもらふと、黒い、きれいな目(めんめ)をあけて、その赤いひもをぢいつと見てゐました。
お母さまはとき/″\立つて、そのひもをこちらの方へ少しひいて見ました。
さうすると、すゞちやんの黒い目(めんめ)は、すぐに、はすかひにこちらの方を見ました。
こんどは向うへやると、すゞちやんはまた黒目をうごかして、そちらの方を見ました。
鈴はひもがうごくたんびにりん/\となりました。
お母さまは、
「まあ、ちやんと見えるのですね。」と言つて、うれしさうに笑ひました。お父さまは、こちらのいすにかけて見てゐました。
お部屋の三方には、まつ白な、うすいカーテンがかゝつてゐました。
その中に、すゞちやんの着てゐる赤いおべゝと、つるした赤いひもとが、きわだつてまつ赤に見えました。
三
お父さまは、それからまた或日、すゞちやんを、ぽつぽのまへへだいていきました。ぽつぽはよろこんで、
「すゞ子ちやん、すゞ子ちやん、こんちは。ぽッぽゥ、ぽッぽゥ。」と言つて、おじぎをしました。
お父さまは、
「こつちよ/\、すゞちやん。こつちをごらんなさい。」と言ひながら、すゞちやんをかごのまへにすゑるやうにして、ぽつぽを見せようとしました。
しかし、すゞちやんは、片手をかためてしやぶりながら、ちがつた方を向いたきり、いくらをしへても、ちつともぽつぽを見ようとはしませんでした。
ぽつぽは、
「まあ、まだ/\お小さいんですね。いつになつたら、すゞちやんが、ぽつぽやとおつしやるでせうね。」と、さも、まちどほしさうにかう言ひました。
お母さまは、
「ほんとにいつのことでせうね。」と言ひながら、お乳の時間が来たので、すゞ子をおひざにとりました。
「なに、ぢきですよ。今にすゞちやんが一人で、ぽつぽのところへ来るやうになりますよ。」
ちようどいらしつてゐたお祖母(ばあ)さまは、かうおつしやりながら、お乳をいたゞいてゐるすゞちやんの、黒い髪の毛をおなでになりました。
「あゝ、ぽつぽに
、いゝものを上げてよ。」と、お母さまは、ふと思ひ出したやうに、帯の間から、小さな赤いお手帳を出してぽつぽにわたしました。
お父さまとお母さまとは、いつもすゞちやんが早く大きくなつてくれることばかりまつてゐました。ぽつぽも、そのことばかり言つてまつてゐました。
その十一月に、ぽつぽは、また、すゞちやんや、みんなと一しよに、ちがつた町の方へ遠く引つこしました。それは、ちか/″\に玉木の大叔母(おばあ)ちやんが、はる/″\曾祖母(ばあばあ)をつれて、すゞちやんを見に来て下さるからでした。
そして、あき子叔母(をば)ちやんもお家の人になるので、すゞちやんの生れたお家ではせまくてこまるからでした。
すゞちやんは、とき/″\あき子叔母ちやんのおひざにだかれて、ぽつぽのかごのところへいきました。
ぽつぽはこちらのお家でもまたガラス戸の中へおかれてゐました。
すゞちやんは、ぽつぽのかごのわきに立つちをさせてもらふと、ちようどお口がふちのところへ来ました。
すると、すゞちやんはいつの間にか、ちゆッ/\と、ふちをしやぶつてゐました。
それから、お手(てて)にもつてゐるがら/\をふりました。
「まァ、すゞ子ちやんは、先(せん)から見ると、ずゐぶんおほきくおなりになりましたね。」
ぽつぽはかう言つて、叔母ちやんとお話をしました。
それからまた寒い冬が来ました。その冬があけると、すゞちやんはそろ/\はひ/\をし出しました。
それからまた青い八月がまはつて来ました。
すゞちやんは、歩いてはたふれ、歩いてはたふれして、よち/\ともう十足(とあし)ばかりあるけるやうになつてゐました。
そのときには、すゞちやんを見たい/\と言つておほさわぎをしてゐられた曾祖母(ばあばあ)も、もうこちらへ来ていらつしやいました。
或日、すゞちやんは、よち/\とおすだれのそとへかけて出ました。
あき子叔母ちやんは、
「あら、あぶない。」と言ひながら、あわてゝおつかけていきました。すゞちやんはもう少しでたふれるところを、ばたりと、ぽつぽのかごにつかまりました。
「すゞ子ちやん、こんちは、ぽッぽゥ、ぽッぽゥ。」と、ぽつぽがおじぎをしながら二人でかう言ひました。
するとすゞちやんはかごにつかまつたまゝ、そのまねをして、
「ぽッぽゥ、ぽッぽゥ。」と言ひ/\おじぎをしました。あき子叔母ちやんは、それを聞いて、
「おや、今のはすゞちやんでせうか。」と、ふしぎさうな顔をして、ぽつぽに聞きました。ぽつぽはにこ/\笑ひながら、
「えゝ、おしまひのはすゞ子ちやんですよ。まァおじやうずですこと。さあ、もう一ど言つてごらんなさい。ぽッぽゥ、ぽッぽゥ。」と、言ひました。
すゞちやんはまたまねをして、
「ぽッぽゥ、ぽッぽゥ。」と、おじぎをしました。あき子叔母ちやんはびつくりして、
「あら、まあ、ほゝゝ。ちよいと、すゞちやんがぽッぽゥ、ぽッぽゥつて言ひましたよ。」と、思はずおほきな声でお母さまをよびました。
すゞちやんはその声にびつくりして、「わァ。」と泣き出しました。
これは、すゞちやんが口を利いた一ばんのはじまりです。お父さまやお母さまはそれを聞いておほよろこびをしました。ぽつぽもそれはよろこんで、来る人ごとにその同じお話をしました。
すゞちやん、あの二人のぽつぽは、こんなときからのぽつぽですよ。
お母さまは、もう先(せん)のお家のときに、すゞちやんの生れてから今日までのことで、二人のぽつぽのしらないことは、すつかり話して聞かせました。
ぽつぽは、それをみんな、お母さまにいたゞいた小さな赤いお手帳へつけておきました。
二人が見てしつてゐることは、もとよりすつかりかきつけてゐます。
ですから、すゞちやんは、大きくなつて、ごじぶんの小さなときのことがわからないときには、いつでも、ぽつぽのお手帳を見せておもらひなさい。
にやァ/\や、黒が来たのは、ぽつぽにくらべればずつと後のことです。にやァ/\は、すゞちやんが、やつとはひ/\するころに、或をぢちやんがもつて来て下さつたのでした。
黒は、たつたこなひだ、お家の犬になつたばかりで、もとは、そこいらののら犬だつたのです。そのつぎに、一ばんおしまひに、君(きみ)がおもりに来たのです。
底本:「日本児童文学大系 第一〇巻」ほるぷ出版 1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「鈴木三重吉童話全集 第五巻」文泉堂書店1975(昭和50)年9月
初出:「赤い鳥」赤い鳥社1918(大正7)年7月 著者:鈴木三重吉
入力:tatsuki 校正:伊藤時也 2006年7月19日作成
青空文庫作成ファイルより全文引用しました。(ブログ掲載上の都合でルビの配置を私が多少変えたことをご了承下さい)
「お殿様」のご遺骨が巣鴨の染井霊園に納骨された後、かつてのお屋敷の跡地は「目白の森」と銘打って、豊島区民の力により公園として保存されました。
幼少のすゞや私が遊んだ頃、幼木だった「庭木」は今、巨木と化し、まさに区立公園の名に恥じない都会の「森」に生まれ代わっています。
喧騒の駅池袋から徒歩15分の「都会の森」、鬱蒼さを年々増す雑木と落ち葉の堆積の中で、私は「蒼い石」を見つけた。
それが、私がその昔「脱いだ小さな靴を揃えて置いた石」だったと気付いたのは、私がこの雑文の冒頭を書き始めた時でした。
ぽつぽがふたり、落ち葉(おちば)の下をせわしなく嘴(くちばし)で突(つつ)いていました。
2009/02/16 升
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