50年前、札幌校舎から移動した私は、JR東海道線原駅前に住み、開校二年目の山の上の校舎に通っていました。
北口しかない駅舎を出て駅前を線路と平行に走っている旧東海道を右に曲がり、2本目の路地を左に入った、鈴木さんのお家の離れを借りていました。
鈴木邸はかつての東海道に面して大谷石の見事な門構えのお屋敷でした。
鈴木邸正門手前の狭い路地を入ったところにある裏門内に、離れは二棟。
向かって左側の大きな家に飯田さんご家族三人が住んでおられ、右手に鈴木邸の勝手口が開き、私はその真ん中の小屋を借りていました。
図1 JR原駅前の旧東海道
「離れ」と云うと優雅な雰囲気です、確かに一軒家なのですがおかしな間取りで、三畳敷の部屋がベニヤで仕切られた形で並列に並び、一方が玄関と台所もう一方にトイレがついている、正に小屋と呼んだ方がふさわしい建物でした。
大学側や誘致した沼津市の要請で、急遽空いている空間に押し込めて作った、学生向けの建物だったのかも知れません。
その小屋の、台所のある部屋に座卓を置いて飯を食い、トイレの方に簡易ベットと机をおいて寝起きしていました。
家の門とそれに続く小さなお庭を共有している飯田家の皆さんと直ぐに親しくなり、私は一人息子の徹君と彼の従妹で近所に住む同じ原小三年の優子ちゃん、二人の勉強をみるバイトをするようになりました。
風呂は大家さん宅で頂き、週二回のバイト時には飯田さんのお家で夕飯をご馳走になる生活。
図2 海洋学部沼津校舎ラグビー部創部時のメンバー(1973)
開校二年目になる校舎では、立ち上げたばかりのラグビー部の活動に明け暮れていました。
登校開始当時に学務課に問うと、「ラグビー部」の登録は開校時既になされているが、活動した形跡がないとの事。
同期生とはいえ編入者である我々札幌組は彼らに取れば外来種に違いない。
早速、登録されていた代表者で唯一部員の学生を探し出し再興を促したが、引継ぎを終えると彼はどこかに消えてしまった。
結局、札幌ラグビー部経験者数名と、訳の分からん水産学科の友人と同じく1年生数名をダマクラカして、一から立ち上げた草ラグビークラブ。
授業が終わると体育館近くにあった部室で着替え、重いタックルマシンを担いで並木通りを横切り、10メートルも下にあったラグビー部専用の草茫々で砂利だらけの菱形グランドで汗を流す毎日。
図3 原海岸、ごろた石が海中まで続き潜っても面白くない浜だった(1973)
週末になると、千葉から総武線と東海道線を乗り継いで、Sさんが原駅から降りてきます。
空色のワンピースを細く白いベルトでまとめた彼女と、駅前にあったスーパーであつらえた軽食を部屋で食べていると、決まって徹が
「あっ、お姉ちゃんがきてる!」
と邪魔しに来ます。
追い出しても聞かないので、仕方なく優子ちゃんも誘い、松原を越えた海岸まで4人で散歩に出かけたものです。
図4 原海岸(2023)
その頃は線路の向こうの松林を潜っていけば、まあるい石ころがゴロゴロ転がっている、海岸に直ぐ出ることが出来ました(注)。
ところが、現在は松林の向こうは分厚いコンクリートの擁壁で遮断され、海は遥かな遠いものになってしまっています。
図5 日本一の高さを誇る海抜17mの沼津市~富士市(延長20km)の防潮堤(2023)
原の駅から大学行の路線バスが、真っ赤な鉄塔と螺旋階段が目立つ、キャンパス1号館の玄関先まで通っていました。
私は、友人から譲り受けたホンダのCB50というスポーツタイプの、オンボロ原付にまたがり茶畑の農道を伝ってあの山を登り下り。
ある日の帰り道、1号館前から続く大きく時計回りに湾曲した急な下り坂をエンジンブレーキだけで下山中、見通しの悪い中央並木通りから下り車線を使って右折して登ってきた2トントラックと正面衝突。
図6 事故現場(1974~84)国土地理院
図7 事故現場(2015)パオパオ日記より
タックルの要領で肩から突っ込み、トラックのフロントグラスに蜘蛛の巣状のヒビが、バイクの前輪がエンジンにめり込み、メットが割れる程の事故でしたが、体は無傷でした。
変に逃げずにとっさにこっちから体当たりしていったのが幸いしたようです。
ラグビーをやっていてこれほど良かったと思ったことはありません。
学務課が間に入ってくれて、お相手に新しい中古のバイクを買ってもらい、決着しました。
そうそう「離れ」の話。
私が3年次、清水に引っ越した際、ラグビー部の後輩(広田君)に徹達の家庭教師も含めて「離れ」ごと引き継いでもらいました。
ところが、早々に広田君が事故で亡くなってしまい、その後の消息は途絶えたままです。
もちろん飯田さんご家族もとうの昔に転居され、見る限りは二軒ともどなたも住んでおられなかった様です。
駅から徒歩5分のその離れは今年4月まではそのまま残っていました。
しかし、夏の間に取り壊されたらしく、今は単車を停めていたアスファルト敷きの路地だけが昔の面影です。
図8 鈴木邸跡(2023)
この思い出深い「離れ」がそのまま残っていたことは、私にとっては懐かしく、たいへん有り難いことなのですが、その反面、原駅を含むこの地域全体が再開発されず、昭和のまま遺跡のように取り残されたように思われていました。
かつて、朝は列車が到着する度に降りて来た学生たちが待機しているバスに乗り継ぎ、午後にはバスから東海道線に乗る学生たちで賑わっていた原駅。
駅舎や駅前のターミナルは整備されましたが、駅前にあったスーパーも消え、昼の日向にも拘らず、通りを行き交う人の姿はあまり見かけません。
旧東海道の古刹を何軒も残しながら、住みやすい街を維持して頂けることを願ってやみません。
関連記事(沼津時代: Mar - 海 - Umi (way-nifty.com))
注)伊勢湾台風被害の影響で初めは県の工事で昭和34年以降13M高さ(現在の海側1段下の道路)の防潮堤工事が始まった。
その後、昭和41年の台風で吉原地区で人的被害が発生した事から県が国に要請して現在の17m高さの工事が始まった。
ー国土交通省河川国道事務所富士海岸事務所所長談ー
図9 原海岸防潮堤断面図(沼津河川国道事務所HPより)県工事{T.P.(東京湾平均海面水位)+13m}の上に国工事(T.P.+17m)が重ねられている。
したがって、1974(昭和49)年当時原海岸付近に防潮堤が存在していたかもしれないのだがどうだろう。
図10 静岡新聞2016.2.4夕刊より
2016 平成28年4月26日(火)
前略
元東海大学沼津校舎開発工学部は、昨年3月末で閉校しました。愛鷹山の中腹にあって、周囲はお茶畑に囲まれ、南に駿河湾や伊豆半島を、北西には富士山を望む学習・研究環境としては申し分のないところでした。
しかし、実際に行ってみると、根方街道から車で急勾配の道路を10分ほど走るところにあり、通学には不便なところと感じました。閉校になった理由はよく知りませんが、この不便さがその理由の一つだったかもしれません。
麓には大学生専用の下宿もあり、多くの学生が利用していたと思われます。
「賄い付き下宿」という看板も目につき、私が大学生の頃、習志野で経験したような光景でした。
その下宿は、閉校になって以降、次の入居者がほとんど見られず、所有者にとっても大変な負担を強いられていることも見て取れます。
かつて、多くの学生を当て込んで栄えていた学生街も、一挙に疲弊しています。
そんな厳しい状況下、明るい話題も見えてきました。
大学側は、耐震性のない建物を撤去して更地とし、耐震性のある建物と全敷地を沼津市に寄付するとのことです。また、静岡県は残された施設を「機能性のある農作物の研究開発するための先端研究施設」として活用する方針を表明しています。既に平成15年度2月補正予算にこの関連予算を盛り込みました。静岡県が目指す今後の農業振興の大きな柱の一つとして期待されています。
大学が生まれ変わって活用されることは大変良いことではありますが、多くの学生により賑わっていた街を取り戻すことは大変厳しい状況と言わざるを得ません。
後略
大学閉校の影響 - 鈴木すみよしブログ (goo.ne.jp)より抜粋、図11も。
図11 かつて大学生で栄えた賄い付き下宿も、今は居住者がいない
2017 平成29年 4月14日
東海大跡地を研究開発拠点として売却、沼津市が公募
静岡県沼津市は、2017年3月末に寄付を受けた東海大学沼津校舎跡地を民間事業者に売却する。地域振興に資する研究開発などに活用することが条件だ。5月から公募を開始する。
図12 物件1と2が今回の対象地(資料:沼津市)
東海大学沼津校舎は、1973年に海洋学部教養部として開校し、1991年からは開発工学部として、人材育成や産業の創出など、地域の活性化の役割を担ってきた。
だが、少子化や人口の首都圏一極集中の進行など、開校当時と社会情勢が大きく変化したことで、2015年3月の全学部生・大学院生の卒業をもって閉校となっていた。
寄付を受けるのに先立ち沼津市では、2016年9月から10月にかけて「対話型調査」を実施し、民間活用の可能性を確認していた。
売却対象地は、沼津市西野字霞の学校用地2カ所だ。
一つは、約5600㎡で最低売却価格が1㎡当たり7400円(図中の物件1)。
もう一つは、約1900㎡で同1万900円(図中の物件2)だ。
いずれも、新東名高速道路駿河湾沼津スマートインターチェンジの近くに位置する。
図13 物件2の状況(写真:沼津市)
また、静岡県が大学跡地の一部を使用し、農業の生産性向上を目指す「先端農業推進プロジェクト」の拠点として、2017年夏の開所に向けた施設整備を進めるなど、今後、有効活用が見込まれる土地と位置付けている。
応募者は事業計画および対象地の買受希望価格を提案する。
市は、選定委員会による提案内容の評価を踏まえて優先交渉権者および次点候補者を選定する。
提案書類は5月1日から19日まで受け付け、5月下旬に審査して結果を通知する。
市と優先交渉権者は、事業内容や価格などについて協議・調整のうえ、7月中旬に仮契約し、その土地売買契約を締結する予定だ。
ー日経BP 総合研究所 新・公民連携最前線より(図12・13も)ー
(東海大跡地を研究開発拠点として売却、沼津市が公募|新・公民連携最前線|PPPまちづくり (nikkeibp.co.jp))
図14 左上が沼津校舎、その下に工事中の新東名と駿河湾沼津SAが見える(2010)国土地理院
2017 平成 29 年6月2日(金)発表
報道取材情報(沼津市)
名 称 等 東海大学沼津校舎跡地活用事業者の公募結果について
実施日時 平成 29 年6月2日(金曜日) ~
担 当 企画部 政策企画課
1 内 容
沼津市では、平成 29 年3月末に学校法人東海大学より東海大学沼津校舎跡地の土地及び建物等の寄附を受け、民間事業者による有効活用を図るため、公募売却により「地域振興に資する研究開発施設等」の立地を図ることを目的とした、提案型の事業者の募集を行いました。
このたび、5月 26 日(金)に事業者選定委員会を開催し、選定結果を踏まえ次のとおり優先交渉権者を決定いたしましたのでお知らせします。
<優先交渉権者>
・所在地 東京都千代田区外神田四丁目 14 番1号
・事業者名 SMC株式会社 代表取締役社長 丸山 勝徳
・活用予定地 沼津市西野字霞 317-1 外の内(約 5,600 ㎡)
・事業概要 自動制御機器製品の研究開発を行う(仮称)沼津技術センターの整備
2 事業者選定の経過
平成 29 年3月 27 日に募集要項の公表、5月1日から 19 日まで提案書類を受け付け、書類の提出があった1社について、5月 26 日の「東海大学沼津校舎跡地活用事業者選定委員会」において、応募者によるプレゼンテーション及び委員との質疑応答を行い、事業内容、事業計画について審議した結果、上記の事業者が優先交渉権者としてふさわしいとの評価を受けました。
この結果を受け、沼津市では「SMC株式会社」を優先交渉権者として決定し、今後、契約の締結に向けた協議を行ってまいります。
3 今後のスケジュール(予定)
上記の協議が調った後、仮契約を締結し、沼津市議会の議決をもって本契約へ移行することとなります。
施設開業は、平成 31 年2月以降を予定しております。
出典:沼津市HP
2017年 平成29年 6月19日
SMC、沼津市に技術センターを計画/東海大学沼津校舎跡地を活用
静岡県沼津市はこのほど、東海大学沼津校舎跡地の優先交渉権者をSMC(東京都千代田区)に決定したと発表した。
場所は沼津市西野字霞317-1外の内。
概算地積は約5,600㎡。
自動制御機器製品の研究開発を行う(仮称)沼津技術センターの整備を計画する。
同市は、2017年3月末に学校法人東海大学より東海大学沼津校舎跡地の土地及び建物等の寄附を受け、民間事業者による有効活用を図るため、公募売却により「地域振興に資する研究開発施設等」の立地を目的とした、提案型の事業者の募集を行っていた。
市によると、対象地は新東名高速道路駿河湾沼津スマートインターチェンジの至近に位置していることや、県が対象地の一部を使用し、農業の生産性向上を目指す「先端農業推進プロジェクト」の拠点として、2017年夏の開所に向けた施設整備を進めているなど、その有効活用の可能性のある土地だとしている。
■ 計画概要
所在地:静岡県沼津市西野字霞317-1外の内
概算地積:約5,600㎡
事業概要:自動制御機器製品の研究開発を行う(仮称)沼津技術センターの整備
SMC、沼津市に技術センターを計画/東海大学沼津校舎跡地を活用
設備投資ジャーナルSMC、沼津市に技術センターを計画/東海大学沼津校舎跡地を活用 | 設備投資ジャーナル (setsubitoushi-journal.com)より
【東海大沼津キャンパス跡地に、先端農業の研究拠点「AOI-PARC」誕生!】
8月3日、静岡県が産学官金の協力で、産業分野や学術分野などが互いの技術やアイデアを持ち寄って、農業をはじめとする関連産業で新たな価値を生み出す「アグリ・オープンイノベーション(AOI)プロジェクト」の拠点施設「AOI-PARC」(アオイパーク)の開所式が行われました。この施設は、旧東海大学開発工学部の校舎の1•2階を改修したもので、県農林技術研究所、慶應大学、理化学研究所など計14事業所・機関が入居します。
施設内には、植物に照射する光の量や温度、湿度などを変えて30万通りの環境条件が設定できる次世代栽培実験装置など、最先端の実験設備を備えており、農業を成長産業にするために、科学的な知見を幅広く集め、加工や販売、流通の革新も目指します。
詳細は県HPでhttp://www.pref.shizuoka.jp/san.../sa-310/sentannougyou.html
2018 平成30年 7月1日
沼津市で褒状伝達式
学校法人東海大学に紺綬褒章
学校法人東海大学にこのほど紺綬褒章が授与され、6月25日に沼津市役所で褒状伝達式が行われた。
紺綬褒章は公益のために私財を寄付した個人または団体を国が顕彰する制度。
今回の受章は、学校法人東海大学が昨年3月に旧東海大学沼津校舎の土地(24万3194平方メートル)と建物(旧4号館と同館を使用するために必要な建物等)を沼津市に寄付したことによるもの。
今年2月24日付で内閣府から授章が発令されていた。
2015年3月まで開発工学部などが置かれた旧沼津校舎の用地には現在、静岡県によるアグリ・オープンイノベーション施設「AOI-PARC」が開設。
静岡県内外の研究機関や企業が連携して農業の生産性革新に関する研究に取り組んでおり、東海大も参画している。
伝達式には沼津市の賴重秀一市長らと東海大から石丸明弘副学長が出席。
賴重市長から石丸副学長に褒状が手渡された。
石丸副学長は、「静岡県は学園建学の地でもあり、今後も協力できることがあれば積極的に取り組みたい」と話した。
東海大学新聞WEB版より
2021 令和3年3月 29 日(月)発表
報道取材情報(沼津市) 名称等 東海大学沼津校舎跡地の公募売却について
実施日時 令和3年3月29日(月曜日) ~
担 当 財務部 資産活用課
1 内 容
沼津市では、東海大学沼津校舎跡地の有効活用による地域活性化を図るため、民間事業者による対象地の活用提案を公募します。
2 対象地の概要
番号 所在 登記地目 概算地積
物件番号1 沼津市西野字霞 316-1 外の内 学校用地 約 33,000 ㎡
物件番号2 沼津市西野字霞 341-5 外の内 学校用地、山林 約 148,906 ㎡
3 スケジュール(予定)
項 目 予定時期
募集要項の公表 令和3年3月 29 日(月)
質問書の受付・回答 令和3年3月 29 日(月)~令和3年5月 24 日(月)
参加登録の受付 令和3年3月 29 日(月)~令和3年5月 31 日(月)
提案書類の受付 令和3年6月1日(火)~令和3年6月 30 日(水)
プレゼンテーション審査 令和3年7月上旬
審査結果の通知 令和3年7月上旬
4 実施要領の公表について
3月 29 日(月)15 時から沼津市ホームページに募集要項を公表します。
2023/12/18 升
つづく
拝借画像
スローライフを送る ヨガインストラクターのヨガと野菜のある暮らし 「ベジタリ庵のパオパオ日記」:東海大学沼津校舎は閉校 (i-ra.jp)
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