築地は く の字に曲がる青春だった
セリ場や仲卸があった主な建物は、弧を描いている。
これは国鉄東京市場駅がかつて存在した事が大きな要因となっている。
線路がこれらの建物に平行して存在しており、これを利用した鮮魚貨物列車などが入線していた。
しかし生鮮食品でも貨物運送が貨物列車からトラックに徐々に移行し、その影響で冷凍車や活魚車などの貨車や鮮魚貨物列車なども廃止され、駅も廃止された。
―出典: ウィキペディア(画像も)
1.
私が初めてそこを訪れたのは水産学を学んでいた大学の2年生の時である。
1年前を札幌にあった校舎で過ごした私は、南区川沿町の下宿を起点に山の上にあるラグビーの練習場とすすき野を行ったり来たりする、水産学と余りにもかけ離れた学生だった。
沼津市の国鉄原駅前の離れを借り、同級の中尾君から譲り受けたおんぼろのCB50で山の上に通学を始めた二年生。
付近はひたすらススキの原っぱと田んぼが広がり、請われて隣に住む小学生の家庭教師を引き受けている、すこぶる真面目な学生をしていたのだが、いまだ水産とはかけ離れた生活だった。
夏休み、CB50で練馬の石神井に帰省した私はふと思いつき、早朝の街道を都心に向かった。
地図を頼りに走り回りようやくそこに着いた時には既に朝の時間の終わる頃、周辺はゴミがうず高く積まれているだけだった。
そこの商いは午前9時からではないことを教わり、ゴミの山の端っこに落ちていたメカジキの角を拾って帰った。
2.
次にそこを訪れたとき、私の生活の場は瀬戸内海の大三島にあった。
エビの養殖場に就職し、ひたすら技術屋に専念しその現場の例年の3倍量の車エビを生産した。
初めて迎えた正月休み、新幹線での帰省し、翌早朝そこに向かった。
会社が数日前まで毎日のようにエビを送っていたそこを見ておきたかったのだが、だれもいなかった。
年末年始はここも休みなのだと知った。
3.
その5年後、久米島に移った私はエビを作るだけでなく販売を含む一切を任された。
着任当初、車エビ養殖施設に不可欠な底砂が真っ白なサンゴ砂で、必然そこにもぐるエビもロウソクの様に白く、加熱した時の紅白の発色を重んじる車エビとしての商品価値を著しく低下せしめていた。
「大三島の時のエビは最高だったのになんだぁこれは!」
などと各地の市場に叱られ値が取れない。
同じ作業をし、同じエサ代を掛けても利益が上がらず悔しい思いをした。
オーナーと話し合い、島外のとある海底から黒い砂を運び白砂と入れ替えた途端、縞模様のはっきりとした車エビが仕上がった。
この処置でようやく市場で戦える商品を持つことが出来たのだが、どうしたことなのか、なかなか高値を得ることができない。
ああこの頃、何度築地に通った事だろう。
市場の仕組み
国(農林水産大臣)の認可を得た市場を中央卸売市場と言い、都道府県知事の許可を得たものは地方卸売市場と呼ばれる。
いわずもなが、築地市場(東京都中央卸売市場築地市場)は国認可の範疇に入る。
市場で扱われる商品は青果物・肉類・水産物に大別されるが、以下水産物の場合について述べる。
中央・地方の別を問わず市場は、荷受(にうけ)と呼ばれる卸売業者と仲買(なかがい)と呼ばれる仲卸業者との間の売買で成り立っている。
そして商品は、いずれの市場でも、荷主→荷受→仲買→消費者の順に商品が流れるのが基本だ。
荷主とは一般的には生産者であるが、漁業者に限らず加工業者あるいは輸入商社等、個人・企業・団体を問わず万人が荷主たる資格を有している。
釣り好きのおじさんが岸壁で釣り上げたメバル3尾を上場しても、嫌がられるはずだが、全く問題ない。
築地には東京都から許可を受けた卸売会社(荷受)が5社ある。
荷主は自由に荷受を選択し(複数選択可)、直接本人があるいは運送業者を介し、入札に間に合う時間に納品し、荷受にその商品の販売を「委託」する。
危険物や腐敗物等を除き、基本的に荷受は委託を拒否できない。
荷受は、委託された商品を差別して扱ってはいけないルールの中で、都道府県知事の認可を得た仲卸業者(仲買)に、競売(セリ)あるいは相対(アイタイ;双方の話し合い)で値を決定し販売する。
従って一般の者は卸売業者から直接購入することは出来ない。
荷主側から見れば、少しでも高く売ってくれる荷受に委託することが理想で、仲買は少しでも安く売ってくれる荷受けを選ぶのが当然で、よほどの信頼関係が成立していないと荷受業はやってられない。
この取引における荷受の収入は売値の5.5%(委託手数料)のみで、委託手数料を差し引いた金額を当日荷主に支払うのが原則で、一連の流れは逐次都道府県の設置した市場課に報告・記録される。
従って、荷主にとっては代金未払いのリスクがほとんど無い事が公認市場取引の一番の魅力となっている。
築地活き海老セリ場の風景
ここで築地の活エビセリ場の様子をとらえた「東京魚市場卸協同組合」のサイト(こちら)の画像を二つ拝借して 説明を加えていこう。
市場に出荷される業務用活車エビの最小梱包単位は一般的には1キロで、体重別に選別された海老を段ボール箱に整然とならべ、上下を杉のおが屑でびっしり詰められる。
1㎏箱には中に収められた海老の尾数が表示され、更に6~8箱まとめてマスターカートンに収めて輸送する。
築地ではセリ前に、各荷受けが荷主から委託された荷物からランダムにサンプリングし、おが屑を取り除いた重量・活着率を検品し、開封したまま、活力・色・殻の硬さ・身の張り・サイズが揃っているか等仲買に触らせて「下付け」を受けさせる。
開封された箱のエビはその後の生存率が低下するため、仲買が嫌がるのが普通で、この様な検品は築地以外の市場では例を見ない。
セリは午前5時の荷受業者の鳴らすハンドベルの音を合図におもむろに始まり、ふたつのグループに分かれて同時に進行する。
一つのグループは荷受二社が、今一つは残りの荷受三社が日替わりで一社ずつ順次ずれながら担当する。
小さな台に荷受A社代表の3名が登る。
中央が花形のセリ人で東京都の試験を通過した有資格者で、脇の2名はその補佐。
セリ人が立つ台に相対する階段状のステージには仲買が、許認可番号が大きく表示された帽子を被り、それぞれひいきの荷受が担当するグループに分かれて登る。
セリ人はセリ場の自社枠に並べられた荷物の順に荷主名とサイズ・数量を口頭で表わし、直ちに、仲買等はその商品のそれぞれ買い入れ希望キロ当たり単価を「やり」と呼ばれる指先で示す(参考画像)。
例えば7300円/kgは7=親指と人差し指を、3=中指・薬指・小指を、片手で繰り返し閉じたり開いたりして現す。
セリ人は対する十数人の仲買人の表示している「やり」を瞬時に読み取り、同値の場合は更に競わせて一番高値を付けた業者にせり落とす。
荷受1社の持ち時間は扱い数量に関係なく8分間と定められている為、素人が全く分からないうちにあっという間に事が終わることになる。
すなわち、(3社×8分=)24分間で、2トンの入荷を平均7000円で売った場合、1400万円の売買が行われることになる。
当時の築地の活車エビの入荷量は平均2トン/日。
この2トン入荷時の平均相場7000円/kgをボーダーラインとして、入荷量に応じて相場が上下する。
今日高値だったからといって荷主のほとんどが出荷量を増やせば翌日暴落するのが当たり前で、築地は特にこの傾向が強いのが特徴だ。
それをコントロールするのも荷受の仕事の内で、必然的に集客・集荷力の強い荷受に情報が集まる。
この理屈に気が付き、築地の5社ある荷受の内活エビの扱い量の多い2社にしぼり荷を送ることに切り替えた。
さらに、セリ人本人と毎日キャッチボールを繰り返し、セリ直前のエビの状態以外にセリ値を左右させる仔細な要因を見いだした。
すなわち、
① セリ台別
セリはふたつのグループに分かれて同時に進行する。
一つのグループは荷受二社が、今一つは残りの荷受三社が日替わりで一社づつ順次ずれながら担当する。
このため、集荷力の強い荷受が揃うセリ台に買い手が集中し、他方のセリ台より高値で取引される場合が多い。
② 荷受けセリ順
当日の雰囲気で高値が先セリに来る場合と後セリに来る場合がある。
③ 荷物のセリ順
同一荷受の中でもセリ順(荷物の置き順)によってセリ値が変わる場合がある。
それぞれの荷受は入荷量や仲買の購入意欲など当日のセリ場の雰囲気を読み取り、予め荷主ごとに荷物を並べた順番でせり落としていく。
従って、よい荷受は尻上がりになるか尻下がりになるかを見極める力が要求される。
④ 最も重大な要素
入荷量の増減により昨日9000円/kg 今日5000円/kg等といった相場乱高下が当たり前の築地エビ市場の中で、暴落時でもさほど値が落ちないブランドのエビがいる。
仲買から先の流通は、荷主によって梱包された状態のまま未開封で高級料理店へ納品される物と、仲買の店舗の中で開封され活魚水槽に収められる物とがある。
後者の取り扱いを受けるエビは着荷状態が不安定など、検品が必要なブランドで死エビや活力のないエビが選別される。
前者の扱いを受けるエビは、仲買を通り越して料亭や三ツ星レストランのお墨付きを直接もらっている「客が付いた」と言われるものだ。
サイズがそろい色や身の張りがよく殻が剥きやすいのは当たり前で、何より死なない「活力」要求される。
「死なないエビ」はおが屑の中でも1週間ほどは眠り続け、生簀の中ではほぼエンドレスの生命力を持っている。
死んだ物は車エビといえども「活」を売りにする店にとって「死なないエビ」は最大の魅力となる。
従って、当日売り切れないほどの量が入荷された日でも、明日でも売れる「死なないエビ」だけは高値安定で引き取られることになる。
そして、こうした質の良い海老を安定量連日継続して上場することが重要だ。
余談だが、その日の築地のセリ値は、荷受の手で各荷主のサイズ別取引単価が一覧表にまとめられ、即刻、全国の主要荷主及び主要卸売市場の関連荷受業者にFAXで送られる。
地方の市場はある意味で築地との集荷に於いての競合相手で、築地相場より安く売り続ければ荷物は来なくなる。したがって、多方面の市場に出荷先を持つ荷主はとにかく築地の相場を上げないと地方での相場も期待できないことになる。
ああ、何度築地に通った事だろう。
若気の至り
久米島内の増設だけでは飽き足らない会社は、竹富島及び種子島に相次いで養殖場を造り、数年後には、私が着任した当初のおよそ6倍の車エビを造り出す日本屈指の車エビ生産企業になっていた。
情報を多方面から集め、相場上昇のチャンスを機敏に掴み、博打の様に築地への出荷量を調整するようになり、いつの間にか、「お祭り男」の称号を荷受から頂いた時期もあった。
究極の出番は不謹慎ながら昭和天皇の「大葬の礼」の時だった。
平成元年2月24日、新宿御苑から武蔵野陵で執り行われた国を挙げた儀式。
国家公安組織は対テロ対策の一環として、国内外から参列する来賓客が利用せざるを得ない羽田空港の到着貨物制限をも行った。
当日は公休日となり、市場も休市になったはずで、仔細は忘れてしまったが、結論として羽田に空輸されてくる海老を降ろせない日が一日(前日の23日と思われる)だけあった。
当然、築地市場の入荷は、瀬戸内の一部陸送可能な地域の海老を除き、その日はゼロと予測された。
幾日も前からこの情報は我々を含む関係者に流されていたので、
「仲買は前日に買い溜めるから、当日は普通の休市日状態になる筈で、荷物を送っても下げ相場になるだろう」
と云うのが荷受の判断だった。
だが私は「お祭り男」だったのだ。
全国の市場間を、モグラの様に縫って走る、一部の業者しか知らないトラック便を秘かに手配し、築地に送る荷物を大阪空港経由で陸送し、閑散としたセリ場に久米島のエビだけを積み上げたことがある。
午前5時前、セリ場をウロウロしているといつの間にか荷受のセリ人に声をかけられる。
セリ後は一番暇な接待役の海老部の部長達に誘われ場内にある極上のすし屋でご馳走になる。
そのあと仲買の店を巡りウロウロしていると事務処理を終えたセリ人に捕まり、朝飯と称して彼らの社員食堂でクジラの尾の身の刺身を頂く。
更に、銀座に繰り出し、対築地専門であろう朝からやってる女性付き高級クラブまで連れていかれる。
久米島のスタッフ全員でセリ場見学に訪れ、荷受けに強請り車エビ料理店へ全員を接待させた。
朝まで友人と飲み泥酔したままセリ場に回り、「今日はね、久しぶりにセリ場に酔っ払いが来ましたよ」と、荷受けから全国の御同業に「聞かせ」られる。
だが、依然として私の造る海老は並の海老のままだった。
ああ、何も知らない若造だったのである。
4.
隣国台湾から養殖車エビが連日大量に市場に出回るようになり、気候が似通っていて出荷時期が重なる沖縄産の車エビ養殖業界に大打撃を与えるようになった。
入荷量2トンで平均\7000/kgで維持されていた築地の相場はあっという間に崩れ、国産もので\3000/kg~\4000/kg、台湾もので\1000/kg~\2000/kg、が当たり前になり国内養殖業者は経営危機に堕ちいった。
ちなみに、飼料費だけで1kgの海老を造るのに少なくても2000円の経費が発生する。
同じ頃、車エビ養殖の発祥地である瀬戸内海や天草地方の施設で、ウイルス性疾病による全滅事故が相次いで起こり、国の栽培漁業センターや水産試験場及び大学等の研究機関が総出で対応したが、処置方が見つからないまま被害が数年続いた。
そうした末に、台湾産クルマエビによる価格暴落と病害によって西日本各地で倒産する養殖場が相次いだ。
そんな頃、倒産した天草の養殖施設を賃借し、会社は沖縄での損失を埋めるべく事業所を立ち上げ、生産を開始した。
ウイルスに侵されるリスクを伴うため、通常一年を要する生育期間を短縮し、台湾から未成熟な海老を購入し短期間養成して商品サイズにするという道を選択し実行した。
台湾産の海老はパッカーと呼ばれる梱包・出荷専門業者が不特定多数のオーナーの養殖池から海老を買い集め日本の市場に、パッカーの名義で送り込んでいる。
従って同じブランド名でも極端に云えば箱ごとに中の海老の状態が異なり、更に一様に色が悪い為、市場では二束三文で取引されている。
そんな海老でも日本の施設に収容後10日もすれば日本産れの海老と全く見分けがつかなくなる。
そればかりではなく、天草の半築堤方式と呼ばれる低密度粗放養殖法およびイカを主体にした天然飼料の利用のおかげで健康かつ身の張り・色目の抜群な海老に仕上がった。
トップブランドへの道
沖縄で要求された配合飼料利用の高密度養殖下では造りえなかった「見事な海老」を造り得た私は、それを大切に売ることだけを考えた。
各市場の荷受はセリ当日の早朝に荷主に対しその日の仕切値(セリ値)を報告する義務がある。
これを「聞かせ」と云うが、ほとんどの場合電話を利用する。
余談になるが、「聞かせ」の数日後に送られてくる伝票「仕切書」の数字が口頭の「聞かせ」の数字が異なっている事が稀にある。
その総てが「聞かせ」より「仕切書」の値段が安いもので、荷受けの担当者個人の犯行だ。
すなわち、高く売る力がないのに継続して荷物が欲しい場合に使う詐欺行為で、発覚されると担当者は首が飛ぶ。
「聞かせ」の口上は担当者によりまちまちだが、セリ値報告以外に当日の海老の着荷状態やセリ場の雰囲気そして翌日の入荷量予想等を連絡する。
そして、こちらの作業状況を確認して「明日も宜しく」と終わるのが普通だ。
高く売る為の鉄則を実践しながら出荷を初めてひと月もしないうちに、築地のセリ人の「聞かせ」に変化が訪れた。
「今日は大暴落!メチャメチャでした。でもマスさんの海老はいつも通りお客さんが付いているから大丈夫。」
という言葉が聞かれるようになった。
築地のトップブランドになった瞬間だった。
異変は2年目に来た。
ウイルス禍がとうとう台湾の海老におよんだ。
春先から台湾の養殖場の海老がバタバタと死に、辛うじて天草の施設に種苗を入れ終わった頃には、ほぼ北部の宜蘭から南部の高雄に至る台湾全土は全滅状態に陥っていた。
前年まで国内消費量のおよそ7割を占めていた台湾産の海老の入荷が皆無になり、必然的に国内相場は久しぶりに高騰した。
連日¥8000/kgを上回る日々が続き、そうして最も活き海老の消費が増える正月を迎える時期が来た。
再びの余談になるが、¥8000/kgで売れた事を「聞かせ」で報告する場合、市場関係者は略して「ハチマル」と言う。8100はハチイチ、8200はハチニイ、8300はハチサン、8400はハチヨンと続く。ピンマルは10の意味だが1000 or 10000かは品物や前後の流れで判断するのが慣例となっている。
さて、年末、全国の中央・地方市場の営業は30日が最終日で年始は5日からとなっている。
この日は在庫が置けぬ為受注分しか買わない仲買が殆どで、29日のセリで仲卸の「買い」が終わると云っていい。
天草に入って二年目のその朝、受話器から聞きなれた築地T水産のOさんの「聞かせ」が始まった。
「25本型(25尾/1㌔)、サンニイ」
とさらっと云い、
「30本型 ニイナナ、40本型 ニイニイ」
と続けた。
前日の28日までハチマル以上の相場を維持してきた築地が大暴落かと、声も出せない私にOさんが笑って、
「三万ですよ!さんまん。築地最高値を更新しました!」
数ヵ月後、倒産した企業から賃借していた「宝の海老」を産み出す養殖場の賃貸契約更新が銀行等債権者の同意を得られない為、事業所を閉じた。
私の車エビとの拘わりもこの時終わった。
5.
平成30年10月6日。
今日の午後12時をもって80余年の歴史を総て閉じる築地市場をおとずれたのは11時過ぎ。
新橋駅から朝日新聞社ビルを回り浜離宮恩賜公園前を通過して「やっちゃば」側から向かう。
信号が青になったのか、歩道の向う側から道幅いっぱいに人の群れが湧いて出て来た。
大半が日本語以外の会話で膨らむ人の群れに仕方なく呑みこまれながら市場のゲートを通過する。
乾物屋や調理器具を扱う小店が立ち並ぶ迷路の様な小路を押しつ押されつ進むと、広大な広場(駐車場)に出る。
その向こう側が懐かしい、建物が「く」の字に曲がる、水産関連棟が立ち並んでいるのだが、警備員が周りを固め、「この先一般の人は入れません」を連呼している。
平時は観光客も含む一般の人の見学入場を許してきた市場も、閉店作業と大田市場への引っ越し作業とを同時に行う、喧噪の日の安全を配慮した入場制限で仕方ない。
25年前まで市場関係者であった私の平然と歩く姿を見咎める人はいない。
仲買表店の半ばはいまだ営業を続ける中、裏では83年分の大量のごみが吐き出され、さっきまでセリが行われていたはずの空間に山を作っていた。
人の靴裏で丸くえぐられたコンクリートの階段は歴史の重みを語っている。
築地最後の昼食の準備をしていた社員食堂のキッチンには、揚げたての大きな海老天が積み上げられ油が切られていた。
こんな日だから奮発して活車エビを使ったに違いない。
2018/12/19 舛
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