カテゴリー「グルメなお話」の95件の記事

2024/09/14

鱧と金魚と三回忌

骨切り処理を施されたハモを見つけ思い出したことがある。

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2003年6月にロタ島の海で命を落とされた五明さんの「お別れ会」は、全国から沢山の人が東京に設けられた会場に集まった。
伺うと、隣で釣りをしていた見知らぬ人の釣り針が根がかりしたのを何とかしようと、海に飛び込みそのままだったと言う。
あんなに頑丈な人が、何とあっけないものだと、みんな一様に驚いていた。

我々海水研グループの他にも五明さんのかつて歩かれた場所々々で生じた小グループの輪が、会場いっぱいに宇宙空間の銀河さながらに散らばり、それぞれの中でそれぞれの思い出話を声高々に語り合う。
会場はバラバラになりながらも異様な唸りに包まれていた。

幹事役兼式進行役の小池さんと桜井さんお二人が会場をコントロールしてスピーチが始まったが、岩崎先生や大木さん始めそれぞれの輪の代表の話など、誰も聞いていないし聞こうにもかまびすしい雑声で聞き取れない。
最後に紹介された三宅君が海鳴会の仲間を集め、五明さんが好んで歌っていたという、「海 その愛」を合唱した。
大八木君の進言だったのだが、その時だけ会場は水を打ったように静寂に包まれ、たれもが耳をそばだててくれたように思う。

そのおり終電で帰宅し、岩崎先生と大八木君を、我が家にお泊まり頂いた。
翌日は、静岡県の大井川河口にあった国民宿舎にたまたま宿泊する予定があり、同じ方角なので先生をご自宅まで、大八木君は宿舎の近くのJR駅まで車で送ることに相なった。

当時我が家の下駄箱の上の90㎝水槽には、庭に設置していた150㎝水槽で自然産卵した孵化後3ヶ月の丁度1円玉位にまるまると育った、流金系の三っ尾が50匹程ひしめき間引きを待っていた。
先生が興味を示されたので、空いた4ℓ入りの焼酎ボトルに水を半分ほど入れた中に10尾程泳がして、御土産としてお二人に1本づつ差し上げた。清水まで2時間、車の揺れと振動で水面からの空気の自然混入を期待して、エアレーション用の機材は不要であろうとの結論だった。

馬走のご自宅の玄関先で、ボトルの中で元気に泳ぐ金魚を掲げ、嬉しそうに手を振る先生のお姿が印象的だった。
清水から大井川までおよそ30キロ、急ぐ旅でもなかったので1号線をのんびり走り1時間、島田市のJR六合駅に到着すると金魚がみな鼻揚げしている。
魚の飼育は私より慣れている大八木君なので、駅で水を交換していけば大丈夫だろうと安易に納得し、そこでお別れした。

六合から垂井までおよそ3時間のJRの旅、今考えると無事に着いたのだろうか?
昔、栄ちゃんが先生から餞別にと持たされたテラピアの稚魚が、協力隊の赴任地セブ島までの長い旅路の途中日々の中継地で水替えを強いられながら、ポツリポツリ死んでいく様を綴った日記と重なった。
その後、清水からは感謝のメールが入ったが、垂井まで長旅をしたはずの金魚達からは何の沙汰も無かった。

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大井川の「鱧のフルコース」、いったいどんな料理が出たのかも味も忘れてしまったが、以来20年ぶりのハモを頂いた。

そう言えば五明さん、来年23回忌を迎える。

2024/9/14 升

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2024/06/09

赤魚粕

最近、粕漬けをあまり見かけなくなった。
奈良漬もまたしかり。
漬け魚界では素材に風味を与えてくれる、西京に勝るとも劣らない、優秀な副材料だ。

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日本酒を絞り取った後の米のカス。
昔は、粕汁にしたり、甘酒をこしらえたり、板粕を素焼きにしておやつにしたり、魚肉や野菜を漬けたり、活躍の場所がたくさんあった。
昭和人の飲んだ日本酒のピーク量は年間170万kℓ。比べて令和4年人のそれは40万kℓ。
酒粕は酒の生産量の10%なので、彼の時代よりも粕自体もおよそ1/4まで減っている筈だが、それでも40万tもある。
飼料にも利用されない余り物は廃棄されていると聞く。
もっとも、圧縮機械の普及でギューノネが出ないほどとことん絞られているので、近年の酒粕は本物のカスになってしまっているからかもしれない。

赤魚という名前の魚はおらず、北欧辺りでたくさん獲れる、赤い底魚の数種をひっくるめた総称。
日本には、ドレス加工され3㌔づつ投げ込みで凍らせた小箱を、マスターカートンに3枚重ねて入ってくる。

加工の為、1日数トンを処理する場合、解凍が一番厄介になる。
水道水を多量に使うと塩素によって赤が飛んでしまうため自然解凍が要求される。
気温との相談になる作業だが、真冬などは前日の夕暮れ時から、作業場の床・テーブルを問わず平らな場所に丸裸にして放置しておく。
日が当たるとあっという間に「白魚」になってしまうので要注意。

今はどんなメーカーも二つ割り機を使うが、当時は包丁の二枚卸。
まな板の前にかごを並べ、包丁を入れながら大小5段階に餞別して、かごに振り分けていく。
スピード勝負の職人芸。
完全に解凍されていないと包丁が途中で止まるので完全解凍が望まれる。
次いでダンべで塩水処理にまわる。

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オリジナル酒粕は、ほぐした板粕にレシピに基づき塩・砂糖・味醂・味の素・98%の酒精(絞り過ぎでアルコール分が足りないため)を添加して、大きな練り機で練り上げる。
魚の赤色を協調したいがために白い粕に仕上げるが、贈答用の詰め合わせの場合は別途「練り粕」という熟成させた褐色の粕を用いる。

塩水に漬け込むと魚の身はプリプリになって如何にも美味しそうに化ける。
粕を塗りながら平たい発砲の箱に上身下身左右一対で皮目を上に並べて冷凍する。

久しぶりに頂いた赤魚の粕漬け。
30年ほど前の出来事、思い出させてくれた。
2024.06/09 升

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2024/05/03

ジンタンガラスの冷奴Ⅱ

沖縄に出かけた事のある人は一度は眼にしたことがあるはずの土産物の一つに「スクガラス」があります。
超有名なので今更なのですが、スク=アイゴの稚魚、カラス=塩漬け、で「稚アイゴの塩漬け」のウチナーグチです。

アイゴの卵は初夏に海藻などに産み付けられ受精後1~2日で孵化します。
仔魚たちは流れ藻などに付いて表層を漂いながら動物プランクトンを食べて大きくなります。
およそ1ヵ月で3㎝程度の稚魚になると食性が変わり、沿岸域に入り込み、海藻を好んで食べるようになります。
アイゴは背鰭の棘に毒がある他に、海藻を摂餌すると内臓や表皮から異臭を発するため、「バリ(尿)」と呼ぶ地域があるほどに流通から敬遠される魚です。
ゆえに漁獲圧が低く、三浦半島の相模湾側では大量のアイゴ成魚が海藻を食べ尽くし、沿岸域に磯焼けを起こす騒ぎが起きていました。

沖縄では、旧暦で6~8月の1日(ついたち)、新月の大潮時に満ち潮に乗ってリーフの割れ目からラグーン域に群れを成して押し寄せるアイゴの稚魚(スク)を捕獲する風習が古くからあります。
「海からの贈り物」といってお祭り騒ぎ、スクがまだ海藻を食べ始める直前のワンチャンス的な漁と云えるでしょう。

水揚げしたばかりのスクを100㌔程づつ分け合って買い付けた土産店は、樽の中で塩漬けし、熟成を見計らって、お婆が店番をしながらあの小さな魚を一匹づつ箸を使って瓶に並べていきます。
腐るものではないので慌てる必要はなんにもないさぁ~、です。
頭を下に、向きを揃えて先ず1段目を、瓶底の内壁に張り付けます。
そして、その円周の内側に同じく頭を下にした魚を隙間なく刺し込んで埋めていく。
2段目以降も同じ手順で積み上げて瓶の口いっぱいになったら漬け汁を並々と注ぎ蓋を閉じます。

こうしてのんびりと仕上げられ、小瓶の中でバッキンガム宮殿の衛兵みたいに並べられた、商品は昔からかなりの高値で売られていました。
他にイカや姫シャコ貝の塩漬けが同じ便で売られていましたがただ塩辛いだけで、いわゆる発酵食品の旨味を感じる物はスクガラスただ一つでしたので、高額であっても納得できる土産物でした。

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 那覇港のスク水揚げ量(沖縄タイムスWeb 2022.8.7より拝借)
そんなスク(アミアイゴの稚魚)も近年水揚げ量が激減していると言う。
なにぶん、経済的価値が小さいためなのかこの魚のあらゆる方面での資料に乏しく、総漁獲量すら数字が見えないなか、図3のデーターは貴重です。
有識者は当たり前の合言葉「乱獲と海洋環境の変化」としか言わない。
ここ横浜までは届いてこないが、2024年の今、既に漁獲規制などの資源保存対策が取られているかも知れない。

今は、比較的漁期の長いフィリピンで獲られた原料を用い、並べることなく乱暴に小瓶に充填されたそれを良く見かけるます。
なんだか悲しいですね、昔の様にもっと大事に丁寧に並べて欲しいものです。


丁度スクと同じくらいの大きさのアジを流通筋では「ジンタン」と呼んでいます。
豆アジとも云いますが「仁丹」がその語源です。
トロ箱いっぱいギッシリと収まった銀色の豆粒が「仁丹」輝きに見えたのでしょう。
ジンタンは大きくなっても海藻は食べないから大丈夫。

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今年の旧暦6月1日は新暦の7月16日、沖縄のスクの初水揚げに先駆けて、早くも湘南ではジンタンが揚がっています。
頭も鰓腸もそのまんま、塩をまぶして瓶に詰め、冷蔵庫に入れるだけ。

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我が家の瓶は、5年前から毎年ジンタン継ぎ足しの年代物。
底知れぬ風味が八丈のクサヤを上回り夏の冷奴を更に旨くする逸品です。

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新参のホタテひも明太と味比べ、島豆腐の代わりに木綿でどうぞ。

2024/05/03 升

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2023/10/10

沖縄モズクの三杯酢

1977年恩納村でようやく初水揚げを成した沖縄の養殖モズクはその後順調に生産量を増やし1990年に1万トン、1999年には2万トンに達し、全国のモズク流通量の99%を沖縄産で占めるようにまで成長した。

この産業成長の一大転機となった1998年に、私は偶然にも沖縄モズクの流通現場で、営業職を担っていた。
この前年に沖縄モズクが当時問題化されていた病原性大腸菌O-157への抗菌性を持つことが発表され、さらにモズクを含めた海藻類の接種で血液循環を改良するといった内容がメディアで取り上げられ、一大ブームに祀り上げられた。

同時に、何の因果か沖縄モズクの大不作が沖縄県の沿岸を襲った。
例年の1/10の水揚げに終わる漁場が相次ぎ、流通業界は混乱した。

私はこの年、市中央卸売市場の水産荷受のなかの寿司種等を扱う特種課の営業に籍を置いていた。
業務は全国の生産者から委託を受け市場内の仲卸業者へ販売するもので、営業職とはいわゆるセリ場のおっちゃんである。
三陸沿岸の活き殻付きホタテや静岡のニジマス等の他、沖縄産モズクの加工品(味付け3連パックなど)も私の担当アイテムの一つだった。

味付けモズクの取り扱い量は僅かだったが、販売先は全て常連の固定客。
体に良いと全国ネットでテレビ報道が相次ぐと、流石に早朝のセリ場で、見知らぬ仲買に声をかけられる機会が多くなる。
普通、この特種課は鮮魚を扱う仲買店が殆どの取引先なのだが、見知らぬ仲買の多くは塩蔵・塩干品や加工品を扱う業者で、一様に「俺んとこにも売ってくれ」とのアプローチ。

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新米かつ腰掛営業職の私は大喜びで沖縄モズクのメーカー(荷主)にその由を伝え、出荷量倍増を要請した。
荷主の窓口担当はうる若き声を持つ女性だったのだが、喜ぶどころか悲鳴を上げた。

「無理です!」
「えっ?」
「ないんです、原料が!」
「うっ」
「新規どころか、明日から出荷量を絞ります。」

情け容赦のない毅然とした対応だった。
ないものは本当にないらしく、ニュースなどでも沖縄産モズクの極端な不作が報道されるに至って納得した。

だが、「ない」で済まされないのが信用第一の流通業界。
絞られた荷物を口八丁手八丁で仕分け販路を維持しながら拡大も同時にした。
すなわち、大口ひいき客相手の販売量を絞り、新規業者には「あんたにだけ特別に」である。

この仕分け作業は仲買がまだセリ場をうろつき出す前に密かに行う必要があり、私はこのためだけに連日モズクを積んだトラックが到着する午前1時にセリ場に向かった。
もちろん、メーカーには「搬入車の遅延は許されない」を約束させた。
この「あんたにだけ特別に」は微妙な蜜月関係を産み、モズク以外の商品の販売量も以前より増え、モズクの売上金額減を埋めるに充分に値した。

ある日のこと、トラックが来ない。
02時になっても、03時になっても来ない。
メーカーに電話してもこんな時間「本日の業務は終了致しました。御用の方は・・・」で埒があかない。
結局トラックが付いたのはセリ開始間際の04時半。
すべての仲買がワンワン見守る中「あんたにだけ特別に」モズクを乗せたパレットが降ろされた。

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仲買達の罵声を一身に浴びた私は、その恨みを9時にようやく出社してきたと思われるメーカーの担当女性に思いっきりぶつけた。
過去女性には幾度も泣かされたが、若い女性を電話口で泣かせたのは後にも先にもこの一回きりである。
2023/10/10 升

参考文献
地域漁業研究 2009号2第,巻49第
沖縄モズク養殖に係る作況予察手法の検討 -戦略的生産目標の構築に向けて-
中央水産研究所 水産総合研究 富塚叙

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2023/09/18

グチの煮付

大三島町宗方の塩田跡地を養殖池に改造するという設計の段階から藤永クルマエビ研究所の指導を受け、四国興産㈱の1号池と2号池が、業界初の画期的エビ養殖池として仕上がったのは1973年のこと。

すなわち、粘土底18,000㎡×2面の池全面に分厚いビニールシートを貼り、その上にエアレーション用の塩ビパイプを10メートル間隔で置き、それらの押さえとして鉄筋を縦横無尽に張り巡らせ鉄杭で固定、さらに池中央に総面積の1/3にあたる砂場の区画を設けたものだ。

この設計のメリットは、酸欠事故防止、砂場の汚染が軽減される他、エビの潜砂域が特定され収穫作業が容易になる事が考えられた。

しかし、実用に供するとデメリットの方が大きかった。

まず、投下した飼料がシートの合わせ目に入り込み腐敗する、収穫作業時に網を入れるとシートの押さえの鉄筋に引っかかる、池干し時に池底が泥濘し車両が入れない、シートにフジツボの付着が甚だしい、鉄筋の跳ね出しが多く作業船の往来に障害がある、等など多様なもの。

さらに、彼の研究所は初年度の生産後、90m×200m×2面を覆っていたシート全てを取り外し手洗いさせた後再敷設を命じたという。

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画像の2号池(上から3番目)には、まだ初年度の仕様(5区画の砂場)がそのまま残されている事から、
1975年頃の撮影と思われる。国土地理院空撮1974~78より

藤永クルマエビ研究所との契約は2年で終了し、以降、残された養殖場長以下のスタッフは、池底にある砂以外の物の撤去に幾年もの間腐心を余儀なくされた。

私がこの養殖場に緑色のカローラでたどり着いたのはこの頃(1977年)で、既に1・2号池は全面に砂が敷き詰められ、更に3号池と5号池の増設を終え、総飼育面積は90,000㎡となっていた。

 

当時、私は敷地内にあったプレハブの建物に寝泊まりしていた。
この建物は、創業当初藤永クルマエビ研究所からの技術指導員伊藤さんがご家族で生活されていた物と聞いていた。
もちろんお会いしたことはなかったが、養殖技術のみならず養殖池そのものを作る土木技術さえも有するレジェンドであるとあちこちで耳にしていた人物である。

養殖場のスタッフは場長以外全て通勤徒歩圏内の人ばかりで、トラさん、照兄(てるニイ)、賢兄(けんニイ)、昭ヤン、私の男組。鉾姉(ほこネエ)、立枝姉(たちえネエ)、淑子姉(よしこネエ)の女性組。

エビが池にいる限り、場長も含め交代で事務所付帯の畳部屋で、泊まり込みの宿直をする。
私は、近くの食料品店兼旅館に朝食を取りに通い、昼・晩は弁当を作って貰っていた。

宿直部屋と私の寝床はお隣同然なので、その日の当番の人と晩の弁当を共にしながら、私だけは晩酌もする。
必然的に会話がはずみ、ほとんどのスタッフと打ち解けて、いつの間にか地の方言を自在に使うに至っていた。

場長は今治の人で、毎朝愛媛汽船の今治始発フェリーに軽トラックで乗り込み、1時間をかけてやってくる。荷台には、場長の実兄で四国興産㈱の社長が経営する今治の水産卸会社(森松水産)が、その日に仕入れたエビの餌が積まれている。

帰り車には、梱包された全国の市場向けの活きクルマエビの製品が積まれ、場長が午後の早い便で宗方港から車だけフェリーに乗せて今治に運ぶ。

場長は宗方港の桟橋に置いてある原付で養殖場に戻り、今治港での軽トラックの受け取りは社長が出向き、日通航空今治営業所に製品を持ち込む流れである。

そして、場長は17時の終業と共に再び宗方港に走り、原付を乗り捨て、フェリーで帰宅すると云う日課で、日々回っていた。

 

当時は配合飼料が出回り始めた頃で、製品自体の信頼度も薄く、生エサに比べて高価なものだった。

クルマエビにとってベストの飼料はアサリとされていたが価格高騰の為、代替としてムラサキイガイが用いられていた。この貝は広島湾の牡蠣養殖筏に勝手にとりつき、牡蠣にとっては飼料であるプランクトンおよび溶存酸素採取の競合相手となり、業者にとってはその駆除が悩みの種である。

そのイガイを大型ダンプで日々運搬し、クラッシャー機で外殻を潰して飼料に供していた。
このイガイが20円/kg。
殻を外した肉量はおよそ15%なので実際の飼料としての単価は133円/kg相当になる。

この他の主な餌は徳島エビと呼ばれる冷凍の小エビで80円/kg。
つまり、肉量換算で100円/kg以下であれば、雑魚・雑イカ・雑エビ、なんでもがエビの餌に値して多少の鮮度落ちは厭わない。

 

場長が朝軽トラックに積んでくるのはその類の雑物で、朝の競りで売れ残ったような魚介を見合った単価で、社長が買い集めたもの。
大半は鮮度の遅れた異臭の放つものだったが、時にはまだ脚が動いているシャコがトロ箱いっぱいに収まったものや、小さいが刺身で行けそうな魚が混じっている。

そんな魚が場長が泊まりの日の晩飯のおかずになる。
聞けば、彼と社長の兄貴はこの仕事の前は自前の漁船をもって、そろって漁師をしていたと言い、船上での飯炊きは生れた時から身に付いているとのこと。

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その日の「餌」はトロ箱10杯程のグチ(イシモチ)の山。
2~3匹を外し残りをグチャッと潰して池に放り込む。

終業後、一風呂浴びた場長が鍋に酒と醤油と砂糖を入れて火にかけ、下ごしらえ済のグチをぶち込む。
一匹相伴に与ったが淡白でとても美味しい魚。
エビは贅沢な物を食べるんだなぁとの印象だった。

 

その後、「イシモチはエビの餌である」という概念から抜け出せずに半世紀の間生きて来たのだが、その他の水産物の資源的減少と価格高騰のあおりをうけて、近年になってこの魚が店頭を飾る機会が増えてきた。

今回贖ったグチは60円/100gの代物。
この単価はアジ・イワシの並み相場と同等なのだが、「エビの餌」時代のなんと6倍でクルマエビ用配合餌料に匹敵する単価である。

と、グチっていてもはじまらない。
生姜を利かせて煮付ければ、あの時の杉村場長の手料理より上手に仕上がった。

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2023/9/17 升

 

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2023/06/24

井筒屋 コダワリのブナ

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「11時開店です。
9時半から店先に書き込み用紙を出しておくので、お名前と人数、ご所望メニューをお書きください。
1時間に10名様が定員です。」
とある。



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一番安価コースメニューを選び、指示通り書いて、開店までの時間つぶしにニジマスの餌やりにイヨボヤ会館へ移動。

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11時に戻ると、予約票に記入した順に格子戸の向こうに案内され、四番目の我々に声がかかったのは30分後。
席に着くと、円い顔の女子がここ村上市と鮭のかかわりの歴史から講釈を始める。
なるほど、これならば一組5分以上は掛かろうものだ。
見るところ、キッチンに2名、フロアーの円女1名何れも女性のみで回しているらしい。

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先ず、「酒びたし」「手まり寿司」「白子の寒風干し」が運ばれる。
酒席であればお通しか?
もちろん一品づつの講釈によどみはない。
ドライバーを気遣って「酒びたし」に酒がかかっていない。
みそ味の白子干しをチビチビやっていると、超小型七輪に「鮭の切り身」と真四角に切り取った皮「酒びたしの皮」が机上に並べられ、焼き方のレクチャーが始まる。

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炭火で炙ると短冊状に切り込んだ皮がチリチリくねり「おどり焼き」。
切り身から香ばしい臭いが立ち上がってきたころ、「かぶと煮」「焼漬」「はらこの味噌漬」の小皿が収まった小箱、土鍋炊きご飯・だし・薬味・ひとくち甘酒が乗るお盆が出る。

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土鍋で炊き上げたアツアツご飯の上に骨トロのかぶと煮、焼いてから煮付けた焼漬やはらこを少しずつ乗せ、先ずは一杯。
ご飯のお替りが来ると焼きあがった切り身をほぐし、三つ葉・海苔をトッピングして、土瓶に入った村上茶+生揚醤油+鰹節でとっただしをかけて頂く逸品。

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デザートに甘酒を頂けば云う事なし。

以上八品〆て三千飛んで25円也。
これ以下の注文では店に入れて貰えない。

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ちなみに、この日のトップバッターである鮭色のワンピースを身に纏ったサワノ嬢は、おひとりで鮭料理22品7,843円也を、酒なしでお召し上がりになっていました。
私の30分前に食べ始め、私の方が先に食べ終え店を後にしたため、お嬢が完食されたのかわかりません。

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なお、一本買いがお買い得なのでご紹介いたします。
6K物がおすすめです。
お中元に頂ければ幸いです。
2023/6/24 升

Photo_20230624093601 画像9のみ井筒屋HPから拝借しました。

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2023/04/08

おにぎりギュッコロリン

私は母の作る三角おにぎりで育ったのだがかみさんはまん丸おにぎりの名作り手である。

途方もなく煩雑な業務を強いられ、昼飯を摂る暇もなかったころからの我が家のしきたりで、私の弁当の主菜はおにぎり、副菜はゆで卵と漬物と決まっていた。
もちろん美味しいこんこはすべて私の手造り。

おにぎりの中の具材は塩蔵魚卵及び昆布の佃煮あるいは梅干しに限られ、一つ当たりコメ半合、数は業務の肉体的負担度に応じ2個から3個に変動する。

妻の小さな掌で丸くされたそれは、全型を四つ折りに割り取った焼きのりで包まれる。
ゆえに、白米の露出はほとんどないのが特徴となる。

海苔の香りがプ~ンと立ち上がりアツアツのうちにアルミホイルに包まれる。
テーブルにハンカチを広げ、真ん中に先ずゆで卵と漬物のタッパーを並べて置き、その上におにぎりを乗せる。

積木学的に不安定なのだが上下を逆にするとおにぎりからの上昇熱で漬物が不味くなるから仕方がない。
ハンカチの四隅をギュッと絞めれば私の弁当は出来上がる。

したがって、食す時点には海苔はシットリとしており、海苔の質によるのか指先に張り付く場合がある。
コンビニのパリパリ海苔がお好みの輩にはお勧めできない。

 

パンを好まない私にとって、握り飯は左手一本で走りながらでも摂れるベストな弁当だった。
そんな暮らしが長くなる中、「もうこれが最後のおにぎりだな」と思う機会があった。

一度目は、会社員を辞め、もう年金生活かしらんと覚悟を決めた城ヶ島。

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工場閉鎖三日前の食堂でのおにぎり(2017/02/17)。
こんこはカブのぬか漬け。

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工場閉鎖二日前の誰もいなくなった事務所でのおにぎり(2017/02/18)。
珍しく玉子焼き、近こんこは白菜漬け。

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工場閉鎖当日の何処からもかかってこない電話の前のでのおにぎり(2017/02/18)。こんこは白菜漬け。

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二度目は、パートで働いたR大原研の草刈りを定年退職したとき。
次の職場は社員食堂があり弁当不要と聞いていた(2020/03/03)。
こんこはスイカのぬか漬け&小茄子の芥子漬け。

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再就職先Rマリーナの社員食堂がコロナ騒ぎで閉鎖され、手弁当が復活したが事情で依願退職した日のおにぎり(2022/09/02)。

さぁて~、おにぎりギュッコロリンしようね!
朝の気合はその日限りでもう聞こえない。

2022/10/27 升

 

 

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2023/02/18

マぁイっカ


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「横浜・小柴」と聞いてその場所の特定が速出来る人は、神奈川県の水産市場関係者か横浜市内でも、近隣の住人の方だけだと思う。
全国区では横浜八景島シーパラダイスの地元と言った方が解り易い。
優良な漁港で、アナゴやシャコなど江戸前寿司のネタが、その昔は良く揚がっていたことで有名だ。
地名がブランドになっている県内でも有数な漁港なのだ。
マイカ=スルメイカであると思っていたのだけれども、店頭に置かれているそれはどう見てもコウイカ。
しかも、シリヤケイカというサブネームまで付いている。
小柴産のコウイカならば月に幾度かこの店の店頭に並んでいるので印字の間違いでは無い筈。
調べた。
スルメイカやケンサキイカ更にはコウイカの類をマイカと呼ぶ地方があるらしい。
横浜の小柴地域だけコウイカとこのイカを区別してマイカと呼ぶのは、きっと生前の姿に、際立つ異なりがあるに違いない。
前者の体表がシマシマ模様なのに対して、後者は点々模様らしい。
京都ではケツクサリ、長崎はシリクサリ、萩ではシリグサレなどなにやら匂ってきそうなネーミングは、釣り上げると頭の先(尻)から褐色の粘液を出して自らの体を汚すからという。
が、店頭に並んだ姿は見分けがつかない。

さて、こんな調べ事は後の話でコウイカとして調理を進め食べた。


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刺身
コウイカとの解剖分類学的徹底的違いがこの甲羅の先端。

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画像は水産庁公式ブログから
コウイカのそれには鋭い棘があるのに対し、シリヤケイカには無い。
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知っていたのなら鮮明な写真を撮っていたのだが、こんなピンボケ画像しかないのが残念。
だが、盛付けのアレンジに甲羅(貝殻)を捨てずに使ったものだ。

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墨汁
シリヤケイカが標準和名で、学名はSepia  aponika 。
紛らわしいコウイカはSepia esculenta なの同属異種の十脚類。
この拙いブログのカテゴリーの一つに「セピアな話」を設けている。
悲しい思い出のコーナーに当てているのだが、属名のSepiaはその語源で、イカ墨がインクとして使われた歴史がある。
コウイカより味は劣るとされているようだが判らない。
同じと言っても”マぁイっカ”。
2023/02/12 升

 

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2023/01/23

エディブルフラワー|花を召しませ

日本のEdible flowerは、菊オンリーだと思い被っていたのだが、シソ・ミョウガ・フキノトウも改めて食用花だと知った。
しかも、この三種、わが家の狭いお庭に雑草として毎年時期になると招かなくても顔を出し、食卓を飾ってくれる。
今年も、もう半月もしたらフキノトウだ。
余談だが、これはとある原子力研究所の日当たりの良い裏庭から根っこをくすね、4年前に、移植したも。

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さて、野菜売り場の片隅に、まるで霊園の「下げ花置き場」の如く、菊の花が無造作に積まれているのを見つけた。
見切り品コーナーの籠の中のそれには、「食用菊」と印字されたラベルが、緑色のテープで貼られている。
著名な品種「もってのほか」を代表とする「延命楽」種は紫の花だから、黄色いこれは「阿房宮(あぼうきゅう)」に違いない。

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ガクをちぎり、水でサッと洗う。
沸かした鍋に酢を入れ花を投入。

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箸でかき回し、しんなりしたら火を止め、ザルで湯切りして冷水で〆る。
ギュッと絞れば出来上がり。

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三杯酢かポン酢、芥子を利かせてもいける。
これは日本酒だろ。
2023/01/12 升

参考文献
食用菊 山形大学農学部

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2023/01/17

ニシン三昧味噌汁付き

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他の魚、例えばアジやイワシあるいはサンマ等でも魚屋の店頭でトレイパックされて並んでいると「刺身用」とか「加熱用」とかのシールがもう一枚貼られていることが多い。
昭和の昔のように直接手で触れたり匂いを嗅いだり鰓の色を確かめたりの、「目利き」をさせなくなったことへサービスか。

この魚、ニシンに「刺身用」の表示がされているのをしかし見たことがない。
それは恐らく、この魚を刺身で食べる人はいないと、提供側が一方的に思い込んでいるからだと考えている。
もちろん北海道以外の地方でわだ。
だから、「塩焼き」に供する目的でとりあえず購入し、持ち帰り、開封して「目利き」を施す。
鱗がビッシリと残っていればまず行けるがそうでない場合が多い。

鰓蓋をめくり鮮血色を確認し、背身を指で押し弾力を確かめ、鮮食の向き不向きを各自判断する必要がある。
画像の魚は鰓蓋の赤の色合いと背鰭後方の飴色の付着物をパックの上から「目利き」して選び贖った。

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行ける鰓の色。
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上身を残し2枚に下ろす。
背中に付いていた飴色の塊の正体は卵、つまり数の子、しめたもの。
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皮を剥がずに腹骨をそぎ落とす。
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アニサキスに注意しながらスプーンで皮から身をこそげ落とし、身に味噌とねぎを乗せ包丁で叩く。
皮は味噌汁の具に供す。

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ニシンのナメロウの出来上がり。
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卵巣は薄皮からランをしごき出し、
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醤油と味醂に漬け込む。
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残した上身に一塩し、グリルで焼く。
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冷奴に漬け込んだ数の子をのせてプチプチ頂く。
1尾430gの生ニシン。
ニシン三昧・皮と大根の味噌汁付き、二人分の晩飯に充分。
2022/12/27 升

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