鱧と金魚と三回忌
骨切り処理を施されたハモを見つけ思い出したことがある。
2003年6月にロタ島の海で命を落とされた五明さんの「お別れ会」は、全国から沢山の人が東京に設けられた会場に集まった。
伺うと、隣で釣りをしていた見知らぬ人の釣り針が根がかりしたのを何とかしようと、海に飛び込みそのままだったと言う。
あんなに頑丈な人が、何とあっけないものだと、みんな一様に驚いていた。
我々海水研グループの他にも五明さんのかつて歩かれた場所々々で生じた小グループの輪が、会場いっぱいに宇宙空間の銀河さながらに散らばり、それぞれの中でそれぞれの思い出話を声高々に語り合う。
会場はバラバラになりながらも異様な唸りに包まれていた。
幹事役兼式進行役の小池さんと桜井さんお二人が会場をコントロールしてスピーチが始まったが、岩崎先生や大木さん始めそれぞれの輪の代表の話など、誰も聞いていないし聞こうにもかまびすしい雑声で聞き取れない。
最後に紹介された三宅君が海鳴会の仲間を集め、五明さんが好んで歌っていたという、「海 その愛」を合唱した。
大八木君の進言だったのだが、その時だけ会場は水を打ったように静寂に包まれ、たれもが耳をそばだててくれたように思う。
そのおり終電で帰宅し、岩崎先生と大八木君を、我が家にお泊まり頂いた。
翌日は、静岡県の大井川河口にあった国民宿舎にたまたま宿泊する予定があり、同じ方角なので先生をご自宅まで、大八木君は宿舎の近くのJR駅まで車で送ることに相なった。
当時我が家の下駄箱の上の90㎝水槽には、庭に設置していた150㎝水槽で自然産卵した孵化後3ヶ月の丁度1円玉位にまるまると育った、流金系の三っ尾が50匹程ひしめき間引きを待っていた。
先生が興味を示されたので、空いた4ℓ入りの焼酎ボトルに水を半分ほど入れた中に10尾程泳がして、御土産としてお二人に1本づつ差し上げた。清水まで2時間、車の揺れと振動で水面からの空気の自然混入を期待して、エアレーション用の機材は不要であろうとの結論だった。
馬走のご自宅の玄関先で、ボトルの中で元気に泳ぐ金魚を掲げ、嬉しそうに手を振る先生のお姿が印象的だった。
清水から大井川までおよそ30キロ、急ぐ旅でもなかったので1号線をのんびり走り1時間、島田市のJR六合駅に到着すると金魚がみな鼻揚げしている。
魚の飼育は私より慣れている大八木君なので、駅で水を交換していけば大丈夫だろうと安易に納得し、そこでお別れした。
六合から垂井までおよそ3時間のJRの旅、今考えると無事に着いたのだろうか?
昔、栄ちゃんが先生から餞別にと持たされたテラピアの稚魚が、協力隊の赴任地セブ島までの長い旅路の途中日々の中継地で水替えを強いられながら、ポツリポツリ死んでいく様を綴った日記と重なった。
その後、清水からは感謝のメールが入ったが、垂井まで長旅をしたはずの金魚達からは何の沙汰も無かった。
大井川の「鱧のフルコース」、いったいどんな料理が出たのかも味も忘れてしまったが、以来20年ぶりのハモを頂いた。
そう言えば五明さん、来年23回忌を迎える。
2024/9/14 升
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