はじめに
はじめに
海を学問し“海業”一筋で暮らして来た私の愛読書の一つにヘミングゥエイの名著「老人と海」があります。
2004年6月に公開を始めた私のホームページ “あやしい囲炉裏の自在鉤” は、「老人と海」の主人公サンチャゴ老人をモチーフとしたパロディーのつもりで出発しました。
“ライオン” “野球の話” “バナナのフライ” “テラス” “マカジキ” そして “マル(Mar)”と、サンチャゴ老人の人格を表現する重要な標語でカテゴリーを分け展開しました。
然しながら、「老人と海」を熟読されていないお方にはご理解されない現実がありました。
公開当初から 「いみわかんないっ!」 「ごちゃごちゃして読みづらーい。」 「絵と文章の内容がぜんぜん違うじゃない!」 等など、多くのお叱りを頂きました。
まさに、あやしい私を象徴するサイトなので、お叱りは “激励” と身勝手に受け止め、性懲りもなく百余りの駄文を書き綴ってしまいました。
2016年8月の一方的なニフティー無料HPサービス終了に伴い、“あやしい囲炉裏の自在鉤”の本棚として設けておりました当該Blog “Mar” を、」改めて独立させ今に至っております。
なお、“ライオン” “野球の話” “バナナのフライ” “テラス” “マカジキ” それぞれのカテゴリーは “マル(Mar)” と同列にあったため Blog “Mar” の支配下におけず、新たなカテゴリーをおきました。
少しだけ解りやすくなったあやしさを覗いて頂ければ幸いです。
追伸
ヘミングゥエイは、私の憧れる老人“サンチャゴ”の海に対する感情を、「老人と海」中で下記記述しています。
<海のことを考える場合、老人はいつもラ・マルという言葉を思い浮かべた。
それは、愛情をこめて海を呼ぶときに、この地方の人々が口にするスペイン語だった。
海を愛するものも、時にはそれを悪しざまにののしることもある。が、そのときすら、海が女性であるという感じは彼らの語調から失われたためしがない。
もっとも、若い漁師たちのあるもの、釣綱につける浮きの代わりにブイを使ったり、サメの肝臓で大もうけした金でモーターボートを買いこんだりする連中は、海をエル・マルというふうに男性あつかいしている。
彼らにとって海は闘争の相手であり、仕事場であり、あるいは敵でさえあった。
しかし、老人はいつも海を女性と考えていた。それは大きな恵みを、ときには与え、時にはお預けにする何者かだ。
たとえ荒々しくふるまい、禍をもたらすことがあったにしても、それは海みずからどうにもしようのないことじゃないか。
月が海を支配しているんだ、それが人間の女たちを支配するように。
老人はそう考えている。>
福田恒存訳
2016年8月 升
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